ムエタイ入門(12回)
『ムエタイは弱くなってしまったのか?』
前回に引き続き今回も「ムエタイは弱くなってしまったのか?」というテーマについて考えてみようと思う。
ムエタイ選手のファイトマネーが過去最も高騰した1980年代から1990年代初頭にかけて、数々の名選手が登場し、スタジアムは観客で溢れかえった。以降、今日まで20~30年の間にムエタイはどのように変貌したのであろうか。
よく指摘されるのは、勝利至上主義というか、負けない選手が重宝されるようになってきたということ。
「昔はスアキンムーだったが、今ではスアキンスアだよ」という人もいる。スアとは直訳すると虎だが、ムエタイ用語では玄人ギャンブラーのこと。一方ムーとは直訳では豚のことだが、ムエタイ用語では素人ギャンブラーのこと。つまり、昔は素人も多数ギャンブルに参加していたため、玄人ギャンブラーたちはこれらの素人ギャンブラーたちをカモにして利益をあげていたが、最近では玄人ばかりがスタジアムに残ってしまい、玄人同士の共食い状態になってしまっているというのである。
負けない選手が重宝されるようになった背景にはこのような状況も関係しているのではないかと思われる。とりわけシアンムアイ(賭師)とかカーヤイ(自らレートを提示して大型の取引を行う賭屋)と呼ばれる玄人ギャンブラーにとって賭けは仕事であり、スタジアムは仕事場に他ならない。そしてこれらのギャンブラーたちは、直接的か間接的かはともかく、プロモーター、スタジアム側、ジム、選手にとって常連のお客様である。とすると玄人ギャンブラーの意向が選手のファイトスタイルに反映されない方がおかしいというものである。玄人ギャンブラーにとっては、勝ち負けこそが最大の関心ごとであり、後先考えずに大振りのパンチを振るっていくような選手は、エキサイティングではあってもリスクが高すぎるとして敬遠される。(非タイ人の試合においてレートマイプート、つまり賭率が提示されずに会場が静まりかえってしまうことがあるのもこれが原因の1つであると思われる)
常に接戦が好まれるムエタイにおいては、実際には負けない選手など存在しないわけだが、負けにくい選手なら存在する。要するに手堅い試合運びのできる選手である。例えば一昔前のルンルアンレック・ルークプラバートなどがギャンブラーから絶大な信頼を得ていた。1~2ラウンドは殆んど全く何もせずにスタミナを温存し、3ラウンドから少しづつエンジンを温め、4ラウンドの勝負どころを確実にものにして5ラウンドは逃げまわるというあの流れをいかに危なげなくこなすかが重要だというわけである。
さらに、現代ムエタイの特徴としては、過度に首相撲からの膝攻撃が流行していることや、その結果として、体の頑丈さが重視されているということも挙げられる。タイ国マスコミ協会の2012年度MVPを受賞したヨードウィチャー・ポー・ブンシットなどはそんなスタイルの典型であり、体力にまかせた強引な組み付きと膝を得意としている。このような選手に対しては、「ムエタイの芸術性が失われてしまった」とか「ムエタイがレスリングになってしまった」というようなことを云う人もいるのだが、実際には、ギャンブラーがこの手のスタイルを支持したことが、膝一辺倒の現代ムエタイの流れを助長したというのが真相であろう。
いずれにせよ、勝ち負けが最優先される現代のムエタイにおいて試合内容が地味になってきているということは、やはり否定し難いところであろう。また、3ラウンドまでリング上で圧倒的に優勢であった選手が、賭率では僅かなリードしか得られず、4ラウンドにたった1発タイミングの良いミドルを受けてしまったことで逆転されてしまっただとか、全くダメージを感じさせないような臀部(お尻)への膝蹴りをもらってしまったことで負けてしまったということが日常茶飯事となっている。
そういう意味では、1960~1970年代に見られたようなアグレッシブさや1980年代~1990年代初頭に見られたような華やかさが、現代ムエタイにおいては失われてしまったのかもしれない。
ただ、問題は、この現代ムエタイが以前のムエタイに比べて本当に弱くなってしまったのかということ。空想上の話となってしまうが、現代のヨードウィチャー(17歳)が仮に30年前のディーゼルノーイと対戦した場合、さすがにヨードウィチャーではディーゼルノーイには勝てないのであろうか?
伝説の名選手であるディーゼルノーイの身長は185cmとライト級の選手としては規格外の大きさだが、ヨードウィチャーも180cm弱はあるであろう。2人とも膝の選手である。一体この2人が対戦したらどのような結果になるのであろうか?
~続く~
写真:ヨードウィチャー・ポー・ブンシット
文/徳重信三