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【ムエタイ入門 第44回】MMAはタイに根付くのか?その3

  
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【ムエタイ入門 第44回】MMAはタイに根付くのか?その3

 

MMAは本当にムエタイの脅威となるものなのであろうか?

 

この答えを探すべくランバー・ソムデートM16に会ってみたいという気が起こった。ランバーはデーダムロンよりも10年以上前からMMAに取り組んできたその道の先人である。

 

この記事を読んでいるような人でランバーのことを知らない人はいないかとは思うが、簡単に説明しておこう。

 

ランバーは、1974年8月30日、まさに格闘技をやるためだけと言っても良いような環境に生まれた。ランバーのお父さんであるソムチャーイさん(59歳)は11人兄弟の長男であり、その兄弟のほとんどがムエタイやボクシングの道に進んでいる。例えば、9番目の兄弟(弟)は日本でも有名なあのヨックタイ・シット・オーであり、11番目の兄弟(弟)、つまり末っ子はタッパヤー・シット・オーであり、さらに、7番目の兄弟(妹)の息子はタイファイトでお馴染みのスットサーコンなのだ。

 

これだけ兄弟が多いと面白い現象が生じる。今年で42歳となるランバーよりも、彼の叔父さん(おじさん)であるヨックタイやタッパヤーの方が年下なのである。ランバーは、7歳の時に当たり前のようにムエタイの世界に入り、この叔父さんたちと一緒に練習してきたという。

 

そしてその彼が業界で頭角を現すようになるのは1990年頃のことであり、その後の数年間でルンピニースタジアムやオムノーイスタジアムの超人気選手となった。とりわけ、テレビを通じて試合が放送される3チャンネル興行(オムノーイスタジアムの興行)においては、彼が試合に出るときだけは、1番人気の7チャンネルのムエタイ興行よりも視聴率が高かったというから、当時の彼の人気ぶりがうかがえる。

 

人気の秘密はもちろん彼のパーフォーマンスである。入場時からマイケルジャクソンを真似たダンスを披露し、ワイクルーでは型破りな踊りを見せ、試合に勝つとリング上を走り回っては誰それ構わずキスし、マットにダイビングするといった具合であった。もちろんムエタイ選手としての彼の実力もかなりのもので、その動きの速さは目を見張るものがあった。

 

ランバーの最初の海外での試合がいつだったのかについてはよく分からないが、1998年11月に東京武道館で行われた興行での土屋ジョー選手との試合は僕も生で見ていたのでよく覚えている。派手なパーフォーマンスもさることながら、とにかく攻撃が速くて、重くて、とにかく「つえー」という感じであった。既にタイでバリバリ試合が組まれるような状態ではなかった筈だが、それでも十分に強かった。おそらく日本において彼がブレークしたのはこの試合だったのではないかと思う。

 

この後もランバーは、ラビット関選手、山口元気選手、安川賢選手といった日本のキックボクシング界におけるバンタム級~フェザー級のトップ選手を次々と撃破してますます有名になった。なにしろ、160センチに満たない小柄なランバーが自分よりも一回りも二回りも大きな選手をバッタバッタと倒してしまうのである。人気が出ないはずがないといった感じであった。

 

それからランバーは間髪を入れずに総合格闘技の世界に身を投じることになる。ちょうど日本でムエタイを教えていたときに、近くにいた人が総合をやっていたからという理由でこの世界に足を踏み入れたそうだが、このフットワークの軽さと頭の柔軟さは驚嘆に値すると思う。なぜなら、当時、MMIという格闘技は日本やアメリカではそれなりに知られた存在であったものの、タイ人でこの競技に関心を持っている人は非常に少なかったからである。

 

しかも、彼の場合、ムエタイの技術にこだわるのではなく、寝技などに十分に適応しており、MMIの世界に入ってから十数年の間、かなりの好成績を収めている。さらには、42歳となる今でもまだ現役を続けているというのだから頭がさがる。根っからの格闘家なのだろう。

 

そもそも、ランバーとはどういう意味なのだろうか?

 

日本語のWikipediaを見ると『ランバーとはタイ語で「おバカさん」の意味』と記載されているが、これは半分しか正しくないように思う。確かに「バー」というのはタイ語で馬鹿という意味であるが、ランバーとはおそらく造語であろう。1982年、アメリカ映画の「ランボー(原題:First Blood)」が公開され、世界中でヒットしたが、それ以降、ムエタイの世界においても、ファイタースタイルのイケイケの選手(いわゆるムアイブー)には、ランボーのチャーヤー(呼び名)が付くようになった。

 

例えば、余りにも激しすぎる試合で1980年代後半に人気選手となったポンシリ・ポー・ルアムルーディー、国際式ボクシングの元世界王者ラタナポン・ソー・ウォラピンなどにもこのチャーヤーが付いていたし、1990年代の人気選手であったランボーチウ(小さなランボー)などは選手名に直接このランボーが付いていた。

 

そしてランバーの場合、このランボーをもじってランバーにしたということなのではないかと思う。バカみたいに飛んだり、跳ねたり、踊ったりすることからランボーならぬランバーになったということであろう。

 

興味深いのは、インタビューで彼が、当初はそういう風に試合の時に自分が踊ったりしていることに自分自身も気がついていなかったと発言していたこと。つまり、自分でも知らない間に体が踊りだしていたというのである。ところが、いつのことだったか、動画で自分の行動に気付いた彼は恥ずかしくなったという。今でも少しは恥ずかしいが、もう今さらパーフォーマンスをやめるわけにはいかなくなったと、そのようなことを言っていた。

 

私はこれを聞いてなるほどなと思った。

 

おそらく、彼のパーフォーマンスというのは、今でも半分は素のままなのだろう。キャラを作っているわけではなく、他の人よりも感情の量が大きく、単にその溢れ出てくる感情をリングの上で抑えることができないということなのであろう。

 

僕が本格的にムエタイを見るようになった2000年以降でも同じような選手はいた。

 

一時期ルンピニースタジアムで誰よりも人気のあったデートナロン・シット・ヂャーブン(当時)である。(注:前回ご紹介したデートダムロンとは別人)ダンスこそランバーのように軽快なものではなかったが、デートナロンの場合も、リング上で感情を爆発させてはしゃぎ回るところなどそっくりであった。

 

ただ、僕の経験上、このいう選手というのは普段は無口でおとなしいものである。デートナロンの場合は無口でこそなかったが、インタビューした際には非常に冷静で知的な印象を受けた。ランバーの場合どうだろう。あんまり無口だと困るなあと思いながら彼のいるパタヤに向かった。

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~続く~

文・徳重信三

 

写真:「ランバーのお父さんであるソムチャーイさんと著者」

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