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ムエタイ入門(13回)

    
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ムエタイ入門(13回)

『ムエタイは弱くなってしまったのか?』

さて、現代ムエタイが以前のムエタイに比べて弱くなってしまったのかというテーマで書いているうちに勢い余って空想上の話となってしまった。
今のムエタイシーンで最も勢いのある選手の1人であるヨードウィチャー(17歳)が仮に30年前の名選手ディーゼルノーイと対戦したら一体どのような結果になるのであろうか、という話だ。ここまで書いてしまった以上もう後戻りは出来そうもない。

ここは一つ真面目にどっちが強いのかを考えてみたいと思う。

タイのムエタイファンや関係者に聞けばおそらく9割以上の人がディーゼルノーイ有利と答えるのではないだろうか。もしかしたらコンラルアング(器が違う)という人もいるだろう。私はディーゼルノーイ本人とも会ったことがあるが、全盛期60キロ前後の契約体重で試合をやっていたとは信じられないくらいに体が大きい。
しかも、痩せ型の選手と思えないほどにその攻撃には重さを感じる。昔の練習風景を撮影した動画が幾つか残っているのだが、これらの映像を見ると凄まじい迫力だ。「天を突く」と形容された膝蹴りは云うまでもなく、ロングレンジから繰り出される左右のミドルも威力は十分である。

さすがにヨードウィチャーでは伝説の名選手ディーゼルノーイには勝てないのであろうか?

いや、私はそうは思わない。というかそう思いたくはない。昔より退化しているスポーツに何の魅力があろうか。ヨードウィチャーにも十分チャンスはあると考えたい。なぜなら、スポーツというものは、進化することはあっても退化することはないと思うからである。

タイムを競い合うようなスポーツであれば特にこの進化は一目瞭然だ。陸上競技にしろ、水泳にしろ、毎年のように新記録が塗り替えられている。100m走を例にとると、1912年にドナルド・リッピンコットという選手がマークした世界記録は10秒6であったそうだが、その後10年間に0.1秒ほどのペースで記録が伸び、1991年にカール・ルイスが9秒86を記録すると、その後モーリス・グリーンやらアサファ・パウエルやらといった選手が登場してきてさらに記録を伸ばし、2009年にはあのウサイン・ボルトが9秒58という驚異的な世界記録を打ち立てている。

つまりこの100年の間に1秒も記録が縮まっているのだ。たった1秒かと思われる方もいるかもしれないが、仮にドナルド・リッピンコットとウサイン・ボルトが一緒に走った場合、単純に計算しただけでも、ボルトが10メートルも差をつけて勝つということになる。また、このリッピンコットがマークの10秒6という記録は、今となっては日本の中学生の最速タイムと同じである。

さらに男子競泳自由形100mにおける進化はもっと極端である。1908年当時1分05秒であった世界記録は、それから100年経った2008年には47秒となっている。実に18秒もタイムが伸びたという計算だ。自由形とは事実上クロール泳法のことだが、1908年の1分05秒という記録は、南アフリカのキャメロン・ファンデルバーグが去年のロンドン五輪でマークした現在の平泳ぎ世界記録(58秒46)よりもずっと遅いということになるし、さらに驚くべきことには、今の日本の女子小学生100m自由形記録にすら及ばないのだ。

100年前の世界最速スイマーは、最近の女子小学生にすら勝てないというわけである。

このように単純に速さだけを競うスポーツであれば、昔と今の比較が容易であるため郷愁や懐古の念の入り込む余地が少なく、その分「昔の選手は凄かった」ということを言う人は少ない。

一方、球技においては「昔の選手は凄かった」という声が多い。とりわけプロ野球の場合、確かに昔の選手のマークした記録には未だに更新されていないものも多い。例えば王貞治の通算本塁打数868本という数字は日本のみならず世界を含めても断トツの記録となっているし、その王貞治の1シーズン本塁打数55という記録も未だに破られていない。
また、金田正一投手が1950年から1969年の20年間にわたる現役時代に記録した通算400勝という数字は、今後塗り替えられる気配すらない。

ただ、これらの記録を条件の違う今のプロ野球にそのまま当てはめて比較することは出来ないというのも周知のことであろう。

もちろん王さんが偉大なホームランバッターであったことは疑う余地すらないことであり、同時代において桁違いの成績を残していることは事実だが、当時の球場の狭さやストライクゾーンの違い、そしてピッチャーの技術的なレベルを考慮せずに現代のホームランバッターと王さんを比較することは出来ない。

これは金田正一氏の記録にしても同様である。金田氏が通算400勝、4490奪三振、防御率2.34という日本プロ野球史上に残る不朽の金字塔を打ち立てた大投手であることには間違いないが、400勝の影には298という敗戦があり(通算勝率0.573)、登板数に至っては944試合となっている。

つまり1年間に平均して50試合近くに出場していたということである。そもそも20年間にもわたってこれだけの試合に登板したという鉄人ぶりこそ「凄い」の一言なのだが、現代のプロ野球においてこのようなヘビーローテーションで投手を起用すれば選手の健康管理はどうなっているのだと問題になりそうである。実際、現代のプロ野球での登板間隔は中4~6日が主流であり、先発数に限定すると、1シーズン中の登板数は、最多登板投手であっても30試合程度である。

こういった背景を考慮すると、野球の世界においても選手のレベルは着実に進化していると考えるのが妥当ではないかと思う。実際、投手の球速はこの30年間確実に速くなっていると思われる。球速を計測するためのスピードガンがプロ野球に導入されたのは1979年だったそうだが、1980年代に150キロを超える速球を投げられたのは、小松辰雄、槙原寛己、郭泰源、江川卓など数名しかいなかったという。ところが今は高校生でも150キロを超える時代である。
特に昨年花巻東高校時代の大谷翔平(現日本ハムファイターズ)は2012年地方大会において時速160キロを記録している。やはり、個々の選手のレベルは上がってきているのだと思う。

さあ随分話が脱線してしまったが、ムエタイにおいても状況は同じなのではないかというのが筆者の考えである。格闘技の場合、球技以上にその「凄さ」や「強さ」を示す客観的なバロメーターに乏しく、その「凄さ」や「強さ」の判断は、観客の主観的な心情や気分に左右される。
そして人は自分が最も多感であった時期の記憶を信用しようとするものだ。さらに年功序列や長幼の序というのは何も日本だけが有する文化ではない。アウッソーと呼ばれる目上の人へのタイ人の気遣いは日本人以上だ。そんなタイ人が今の選手よりも昔の選手をより高く評価することは極自然なことであろう。

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~続く~

写真 『ラジャダムナンスタジアム(H. Soda)』

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