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ムエタイ入門(23回)

    
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ムエタイ入門(23回)

何度も言うようだが、ムエタイはタイの文化や歴史と密接に結びついており、他の競技や格闘技にはないような独特の魅力が詰まっている。今回は、ムエタイのもう1つの興味深い特徴について書いてみたいと思う。

それは、「休むこと」に対する考え方である。どんなスポーツであれ休むことは大切であると説いているかと思うが、ムエタイほどこの考え方が徹底しているスポーツは少ないのではないかと思うのだ。

それこそ、「練習しろ」という言葉と同じくらい、もしかしたらそれ以上に「休め(パックポーン)」という言葉をよく耳にするような気がする。特に遊びたい盛りの若い選手であれば、トレーナーたちは「規則正しく生活し、十分な睡眠を取るように」と口が酸っぱくなるほど言い聞かせている。

実際、ムエタイに限らず、一般人の毎日の生活においても同じだ。ちょっとでも疲れたとか、頭が痛いとか言う人がいると、すぐに誰かが、このパックポーンという言葉を投げかける。タイの温暖な気候や、食べ物の豊富さなどを考慮すると、これもこの国の文化なのだろう。

ところが、「がんばれの国」で育った僕たち日本人にとっては、この「休めの精神」はなかなか素直に受け入れにくいものがある。日本でも昔から「寝る子は育つ」という風に言われてきたし、スポーツの世界では、オーバーワークの危険性を考慮する人が増えたり、練習と休息の適度なバランスといった考え方が浸透するようになってきたりしているように見受けられるが、それでもやはり、一昔前までは、水も飲まずに炎天下のグランドを延々とうさぎ跳びするスポーツ選手が尊ばれたお国柄なのだ。練習を抑えて休息を多めに取ると怠けていると思われるかもしれないし、そもそも自分自身が不安になる。ひたすら追い込んで練習していないと気持ちが落ち着かない。

タイ人の「休むこと」に対する徹底ぶりは試合前についても同じだ。試合が始まる随分前から身支度し、慌ただしくシャドーをやったり、ミットを蹴ったりしている日本の選手と比べて、タイの選手は試合直前まで寝ていることが多い。さすがに熟睡しているというわけではないだろうが、仮眠をとり、少しでも疲れないようにしているわけだ。

試合の何時間前に起床するのが良いかということについては、スポーツの世界でも色々な意見があるようだが、日本に限定すると、少なくとも3時間前には起きるべきだというのが一般的な考え方のようである。この手の考え方の根底にあるのは、体の神経が目覚めるのに3~4時間は掛かるからという理屈だが、どうやらムエタイの考え方とは違うようだ。

あ、そう言えば、ちょうど今、20年位前に週刊ビッグコミックスピリッツに連載されていた『奈緒子』という陸上競技の漫画を読み直しているのだが、この漫画に興味深いシーンがある。

大介(主人公の兄貴):「雄介、雄介!起きる時間だぞ、雄介!」

雄介(主人公):「何時だよ兄ちゃん。もう少し寝てていいだろ」

大介:「駄目だ。起きるのは競技開始3時間前がベストだって品川医師に教わっただろ。今、3時間前だ。今日は100メートルと200メートルの決勝なんだぞ」

雄介:「いいんだよ兄ちゃん、俺は時間ギリギリまで眠ってたほうが。おやすみなさい」

大介:「確かにそう言われりゃ、あくびしながら走り出す雄介は速いよな。あと30分眠らせてやろう」

まあ、あくまで漫画の話なので事の真偽は分からないが、本番直前まで横になって目を閉じておくというのは、それなりに有効だと思う。毎年地域の駅伝大会に出ている僕の個人的な体験からしてもこの方法は効果的だ。入念にウォーミングアップを行う代わりに、本番直前まで仮眠をとるようにしてからは、幾分タイムが良くなったように思う。

ムエタイと陸上競技を単純比較するのは乱暴かもしれないが、本番前に余計な力を使わないということは格闘技においても大事なことだと思う。幾らでもスタミナがあるような若い選手は別として、3ラウンドもミットを蹴れば疲れてしまうような選手であれば、自分の出番ギリギリまで仮眠を取るというこの方法を試してみる価値はあると思う。

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文・写真 徳重信三

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