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ムエタイ入門(29回)

    
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ムエタイ入門(29回)

今回はムエタイ選手のリング名やチャーヤーについて書いてみよう。

そもそも殆どのタイ人には本名(チューチング)とあだ名(チューレン)があり、ムエタイ選手の場合だと、さらにリング名、そして有名選手になるチャーヤーと呼ばれるものが付くようになる。

本名というのは、例えば、ソムサック・テープソムブンといったもので、あだ名というのは、日常生活の中で他の人が親しみを込めて呼ぶものだ。このあだ名は本名の一部に由来する場合もあれば、そうでない場合もある。例えば本名がソムサックの場合、サックというあだ名が付く場合もあれば、全く本名とは関係のないあだ名が付く場合もある。

ある調査によると、2006年~2007年に生まれたタイ人のあだ名で多かったものは、男の子の場合で1位ウィン(勝利)、2位アイス(氷)、3位ミッキー(ミッキーマウス)、4位カーオ(米)、5位ナーイ(旦那)、6位アーム(武器他)、7位ボス(上司)、8位サン(息子または太陽)、9位ビーム(光線他)、10位ベスト(最良)の順であり、外来語が殆どである。一方、25歳~36歳の男性の場合、1位オット(おたまじゃくし)、2位ジョー(カンガルーの意味であるジンジョーに由来)、3位エー(アルファベットのA)、4位トー(スズメバチ)、5位エーク(1番)、6位トン(最初または木の幹)、7位ムー(豚)、8位エート(意味なし)、9位ヌン(数字の1)、10位オー(アルファベットのO)となっており、幾分最近の子供のあだ名に比べるとオシャレ感が薄らぐ。ちなみに同じく25歳~36歳の女性の場合、よくあるあだ名は、1位ペーン(月)、2位ポーン(祝福)、3位エー(子供と遊ぶ時の掛け声)、4位ノック(鳥)、5位レック(小さい)、6位エーン(純粋な人)、7位オー(子供を慰めるときの掛け声)、8位プル(りんご=アップル)、9位ジアップ(ひよこ)、10位メーム(マダム)となっている。

タイ人のあだ名と言うと、ウワン(太っちょ)、ヤーオ(ひょろ長い)、レック(ちび)、ムー(豚)など本人の特徴を表したものが多いのだろうと漠然と思っていたが、こうやって見てみると、実際には、本人の体型、性格、キャラクターなどとは関係のないものの方が断然多いようだ。

それでは、次にムエタイ選手のリング名について見てみよう。分かりやすい例として、ムエタイ選手として最も成功したのではないかと思われるブアカーオの場合を取り上げてみる。ブアカーオの場合、本名(チューチング)はソムバット・バンチャーメーク。ソムバットとは資産、財産、富という意味で、バーンチャーは統制とか命令、メークは雲の意味である。そして、あだ名(チューレン)はダム。まさに肌の色から来ているのであろう。そのまま「黒」という意味である。これに対して、リング名はブアカーオ。ご存知の通り、「白い蓮」という意味である。(タイ人の中でも特に肌の黒いブアカーオに「白い蓮」というリングネームを付けたのはちょっとした洒落だったというのを何かの記事で読んだことがあるように記憶している)

そして、このブアカーオのジム名(スポンサー名)に当たるのが、以前のポー・プラムックであり、現在のバンチャーメークである。ブアカーオが以前プラムック・ロジャナタン氏(通称ガムナンゲー)のポー・プラムックジムに所属していた際には、このジム名が付き、独立して以降は、本名(苗字)のバンチャーメークをジム名として用いている。

さらに、ブアカーオほどの有名な選手になればチャーヤーと呼ばれる称号(別名または呼び名)が付いている。彼のチャーヤーは「ダムドットコム」、英語で表記すると「dam.com」となる。ムエタイ選手のチャーヤーとして、これはかなり奇抜なものだ。どうしてこういう妙なチャーヤーが付いたのかは良くわからないが、少なくともダムとは、前述の通りブアカーオのニックネームである。

本名、あだ名、リング名、チャーヤーと色々あって混乱してしまいそうだが、尚更ややこしいことにムエタイ選手は、リング名を変更することも多い。これには、2つのケースがある。1つ目は験(げん)を担いだり、イメージチェンジを狙ったりして自分の選手名自体を変わる場合であり、2つ目は移籍やスポンサーが変更になることでジム名(スポンサー名)が変わる場合である。もちろん選手名とジム名が同時に変わることもある。最近であれば、バンルデート・ソー・プラソップチョープという選手がソンコム・シットナーヨックサンヤー(シースリヤンヨーティン)というリング名を変えているし、日本で梅野選手に敗れたジョームピチット・シットシェフブンタム(チューワッタナ)はつい数年前までシットソーンピーノーンジムに所属しており、マーピチット・シットソーンピーノーンというリング名であった。

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写真:『ソンコム・シットナーヨックサンヤー(シースリヤンヨーティン)』

文章:徳重信三(シンラパムエタイ)

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