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【ムエタイ入門 第43回】MMAはタイに根付くのか?その2

    
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【ムエタイ入門 第43回】MMAはタイに根付くのか?その2

ONE CHAMPIONSHIPの創設者であるチャトリー・シットヨートン氏の経歴は、一般的なタイ人のそれとは比較にならないほどユニークなものである。

 

日本人の父親とタイ人の母親の間に生まれた同氏は、タイで生まれ育ち、パタヤのシットヨートンジムでムエタイに慣れ親しむ。その後、事業に失敗した父親が家族を見捨てたことで路頭に迷い、一時は極貧の状態に陥ったこともあったが、それでも米国ハーバード大学ビジネススクールのMBAを取得し、アメリカの金融界において大成功を収め、2009年にはシンガポールに総合格闘技の巨大ジムであるEvolve MMAを創設している。

 

日タイハーフであり、タイに18年、アメリカに18年、さらにはシンガポールを拠点にしてから8~9年であるというチャトリー氏であるが、「心は100%タイ人だ」と言う。また、同氏は、ことあるごとに自分とムエタイとの繋がりの深さを強調している。

 

もちろんこれらの発言が彼の本音であることに違いはないとは思うが、その一方で、自分のタイ人としてのアイデンティティーやムエタイへの愛着を彼が人前で触れ回らなければならないのは、タイという国の特異性と無関係ではなかろう。

 

ムエタイ関係者を筆頭に反対派がわんさかといるタイでMMAという格闘技を根付かせるにあたっては、どうしてもタイ人のナショナリズムに訴える必要があるからだ。

 

事実、5月27日のONE CHAMPIONSHIP大会に先駆け、サイアムパラゴンで行われたフェイスオフにおいてチャトリー氏は、メインイベントを務めるデートダムロンと内藤のび太選手が出てくる前の絶好のタイミングにおいて、タイ女子バレーのナショナルチームのメンバーを舞台上に招待し、タイ対日本という構図を際立たせようとしていた。

 

なぜなら、リオ五輪最終予選として5月18日に行われた女子バレーの日タイ戦において日本は劇的な逆転勝利を収めたが、タイではこの試合における審判の判定が物議をかもしており、一部の人たちの間では反日感情が高まっていたからである。不公平な審判団により日本に敗れ、リオデジャネイロオリンピックへの出場を断たれてしまったタイが、記念すべきタイ初の本格的MMA興行において日本にリベンジを果たすというシナリオを彼が演出しようとしていたことは間違いないであろう。これなど正にタイ人のナショナリズムに訴えようとする手法である。

 

政治家が国内の問題から国民の目を逸らすために、国外に敵を見つけようとするのに似ているとも言える。つまり、ムエタイ出身の地元のヒーローがMMAの舞台で外人をやっつけることでタイへのMMAの進出に対するムエタイ関係者らの反発を抑え、ムエタイ対MMAという構図を打ち消し、タイ国対世界という構図にすり替えようという戦略である。

 

筆者自身は未だにチャトリー氏にお会いしたことはないのだが、あるウェブサイトで次のような同氏の発言を見つけた。これは、ONE CHAMPIONSHIPがタイに進出する前の段階での同氏へのインタビューである。

 

☆「どうしてこのタイミングでタイに進出することを決めたのか?どうしてもっと早くタイに進出しなかったのか?」

チャトリー氏:「私としてももっと早くからタイに進出したいとは考えていたが、より適切な方法で事を進めたいと思っていたんだ。その意味が分かるかい?自分のバックグラウンドにはムエタイがあるけど、そのムエタイの関係者というのは、海外から入っているものに対してずっと反対して来たんだ。K1であろうが、UFCであろうが同じさ。ムエタイには色々な文化的な重要性があり、また、ムエタイビジネスの妨げになるものは敬遠されるため、タイの格闘技市場に入り込むのは非常に難しいんだよ。タイ政府、ムエタイ関係者、MMA関係者などあらゆる分野の有権者からの支援を得る必要があるんだ。タイのムエタイほどナショナリスティックなものはないし、だからこそ、この問題はセンシティブなんだよ。もちろん、どの国にだってそれぞれの事情ってものがあるだろうけど、タイにおいてムエタイは極端にプロテクトされた文化遺産なんだ。でもこれは自分にとっては好都合さ。なぜなら私のバックグラウンドはムエタイだからね。もし私の目的が完全にビジネスであったり、私が外国人であったりしたのであれば、タイのこの市場に食い込むことは出来なかったと思うよ。」

 

やはりタイ人にとってムエタイは特別な存在なのである。普段ムエタイに関心がないような人でさえ、ナショナリズムが絡んでくると急にこの格闘技について誇り気に語り出すものだ。

 

日本に同じような性質のものがあるであろうか?

 

柔道、空手、剣道、相撲、忍術、弓道、合気道等など、日本には武道や武術などを呼ばれるものがたくさんあるが、いずれもムエタイとは少し性質が違うように思う。

 

ナショナリズムの象徴という意味においてムエタイは、むしろ靖国神社、竹島、尖閣諸島、国歌、富士山、特攻隊、桜などと同じようなものと言っても良いかもしれない。

 

さて、結局今回のONE CHAMPIONSHIP興行においてタイ側が用意した真打ちのデートダムロンは、日本の内藤のび太選手に負けてしまったが、これがチャトリー氏にとって誤算であったのかどうかは意見の分かれるところであろう。僕も全く分からない。もしかしたら、同氏は、デートダムロンが負けることは全く想定していなかったのかもしれないし、或いは、負けたら負けたでタイ人のナショナリズムに再度火がつき、MMAが盛り上がるであろうと考えていたのかもしれない。

 

ところでMMAは本当にムエタイの脅威となるものなのであろうか?

 

これについては、経験者の意見を聞いてみるのが一番であろうと思い、ムエタイとMMAの両方を知っているランバー・ソムデートM16のところに行ってみることにした。

 

~続く~

Chatri_Sityodtong_in_Singapore

 

写真:「チャトリー・シットヨートン氏」

文・徳重信三

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