ムエタイ入門(4回)
今回の「ムエタイ入門」では、アユタヤの少年ボクサーの話を続けようかと思っていたのだが、予定を変更させてもらうことにする。というのも9月28日、チェンマイでムエタイマラソンが開催され、4名の日本人選手が出場したのだが、全員が圧倒的な力の差を見せつけられた末に敗退。今回は、このムエタイマラソンについて書いてみたいと思う。
まず、読者の皆さんはムエタイマラソンをご存知だろうか?
ムエタイマラソンとは通常8名の選手によって争われるワンデートーナメントのこと。テレビ中継の関係もあり、優勝するには僅か3時間程度の間に、初戦、準決勝、決勝と3連勝しなければならない。しかも、このワンデートーナメントは、野外特設リングで真昼間に行われることが多く、季節によっては猛暑に見舞われ、最悪のコンディションとなる。ムエタイマラソンが通常のムエタイと決定的に異なるのは、5ラウンド制ではなく3ラウンド制だということ。この違いは大きい。
通常のムエタイを観戦していて「なんでムエタイは1、2ラウンド本気を出さないの?」と疑問に思ったことのある人も多いと思うが、筆者はその一番の理由はスタミナ配分にあると思っている。つまり、全5ラウンド15分を最初から最後までノンストップで相手と殴り合えるだけのスタミナを持った選手というのは殆んどいないため、いつの間にか今のようなファイトスタイルが定着したのではないだろうかと考えている。もちろん、「ムエタイでは試合前半は流すものだと昔から決まっているから」とか「ペース配分しないで最初から全力を出すような試合運びはギャンブラーから支持されないから」といった理由もあるかもしれないが、それらはあくまで二次的な理由であろう。ご存知の通り、ムエタイはギャンブルの対象であり、ギャンブルの本質は確率である。つまり、試合前半からガンガン前に出て行く選手とペース配分を考慮した試合運びをする選手のどちらが勝率が高いかということがムエタイの長い歴史の中で明らかになってきた結果、今のようなファイトスタイルが確立されてきたのだと思う。そして、1ラウンドから飛ばす選手が勝ちにくい理由の1つが、前述の通りスタミナの問題だというわけである。
その証拠に3ラウンド制のムエタイマラソンでは、どの選手も通常のムエタイとは全く違った試合運びを見せる。極端に言うと、ムエタイマラソンの1~3ラウンドは、通常のムエタイの3~5ラウンドに相当する。試合開始のゴングが鳴ると、どんどん前に出てくるのだ。しかも前述のように優勝するには3試合をこなさなければならず、初戦や準決勝をKO勝ちで乗り切れば後々楽になることが重々分かっているため、一発狙いの選手も多い。これは、ギャンブラーではない一般の観客が見ても十分に楽しめる内容となっている。
さて、9月28日、タイ北部チェンマイで行われたムエタイマラソンでは、4名の日本人選手の他に4名のタイ人選手が出場した。ケム・シットソーンピーノーンを筆頭に、プラカイセーン、シリモンコン、テープスティンといずれもタイの重量級(65~70キロ)を代表する選手ばかり。それもその筈である。ムエタイマラソンを主催しているのはペッティンディープロモーション、つまりシアナオ率いるペッティンディー興行なのだ。昔からのファンであれば、ムエタイと云えばワンソンチャイ興行を思い浮かべる人もいるかもしれないし、キックボクシングの関係者であれば日本との結びつきの強さからダオルンチューチャルーン興行を思い浮かべる人もいるかもしれない。しかし今のムエタイ界で最大の勢力は間違いなくペッティンディー興行である。弱い選手が出てくるわけがない。
案の定、この日のトーナメントではタイ人選手の強さばかりが目立った。実際の試合を以下の動画でご確認頂きたい。
シリモンコン対青柳剛選手(1回戦)
プラカイセーン対アーサー雅仁選手(1回戦)
シリモンコン対武田一也選手(準決勝)
このシリモンコンという選手は、3~4年前レンジャートーナメントに出場していた頃は60キロ程度で試合をやっていたが今回のトーナメントでは70キロ契約というから驚きである。タイでは60キロ以上の階級では試合チャンスが極端に少なくなってしまうので、本人からすると60キロも70キロも試合さえ組んでもらえればあまり大差ないのかもしれない。この日は1回戦、準決勝と2人の日本人をノックアウト、強烈なインパクトを残したが、決勝戦では優勝候補筆頭のケムに大差の判定で敗退した。
一方、プラカイセーンの方は、第20回イスズトーナメントで優勝しているペットマンコンの兄貴。96ピナンジムに所属していた頃は、どんどん出世していく弟を尻目になかなかチャンスが回ってこなかったが、ペッティンディー直轄ジムであるガイヤーンハーダオジムに拾ってもらい、スポンサー名でもあるこのガイヤーンハーダーオ(5つ星焼き鳥という意味)をリング名に使うようになった。強烈なバックを味方に付けたプラカイセーンは、次々と試合のチャンスに恵まれ、2011年10月に行われたムエタイマラソン(コラート大会)決勝では、日本でも名の知れたあのヨードセングライを破って優勝。勢いに乗っている。この日は1回戦で日本人をノックアウトしたが、2回戦でケムに敗れてしまった。
今回出場した日本の選手4名も決してレベルの低い選手ではなかったと思う。実際、いずれの選手もチャンピオンクラスだそうだ。この日のチェンマイの気温は35度を超えていたとのことだし、完全にアウェイ、慣れない場所での試合に戸惑ったということもあるだろう。ただ、本音を言うとやはりこれが現時点での実力差なのだと思う。当たり前の話かもしれないが、ムエタイの本場はタイである。今回のようなトップレベルの選手を相手に、その本場のタイで力を発揮してこそ本物といえるのではないだろうか。
最近、タイの選手が日本に来てころっと負けてしまう試合がよくあるそうだが、何か事情があるのだろう。また「昔のムエタイは強かった」という人をよく見かけるが、これもある種の感傷でしかないと思う。今も昔もムエタイの頂きは遥か高いところにあり、だからこそそれを知っている人は燃えてくるのだと思う。日本チャンピオンやら世界チャンピオンやらタイトルの名前は色々あるが、この道を志す人には是非ともタイのスタジアムを目指してもらいたい。
~続く~
徳重信三
写真ケム・シットソーンピーノーンが大人の試合運びでシリモンコンを退け優勝。実現は難しいかもしれないが、ケムにはムエタイルールでペトロシアンに雪辱を果たしてもらいたい。