ムエタイ入門(10回)
同じクローントゥーイ区であっても、96ピナンジムの周辺とラマ4世通りを隔てたスクムビットエリアでは全く様相が異なる。
ジムの近くにある線路沿いには無造作にごみが捨てられており、スラム街特有の匂いが鼻につく。夕方になると、これから出勤しようとする水商売の女性たちの姿も目につくようになる。
そんな環境の96ピナンジムには色んなタイプの選手が入ってくる。近隣地区から父親に連れられてやってくる子、ジムの関係者である親戚を頼って地方からやってくる子、他ジムからの預かりという形で入ってくる子、権利を買われてやってくる子と様々である。
ところが、ジムに入ってくる子の誰もがムエタイの世界で成功できるというわけではなく、そもそも長期間にわたってここに在籍するというわけでもない。
いつの間にか入ってきたニューフェースが、気が付いたらいなくなっていたという場合も多々ある。痛みを伴う競技である上に毎日の激しい練習や規則正しい生活が欠かせないとあっては、相当なモチベーションがない限り、継続するのは難しいということなのだと思う。
本ブログの主人公である志朗君は、14歳の頃から、日本とこの96ピナンジムを行き来しながら、
かれこれ5年間も練習を続けてきた。
ジムのチーフトレーナーであるグライスウィット氏は、「シローがラジャダムナンスタジアムのタイトルを獲得する可能性は十分にある」と断言していたが、同世代のバーンプリーノーイやサッグモンコンと同様、今では志朗君も96ピナンジムのホープになっている。
これもひとえに継続は力なりということなのであろう。
思春期に渡タイした選手としては立嶋篤史が有名だが、その立嶋選手は、雑誌のインタビューに対して「(練習していたジムでは)ゴキブリは出るわ、ジムメイトは勝手に自分のバッグを開けるわで嫌でしょうがなかった」という内容のことを語っていた。
志朗君の場合は一体どうだったのだろうか。筆者自身、実はまだ志朗君本人と会ったことがないのだが、いずれじっくり本人から思い出話、夢、それにモチベーションの持ち方なんかについても話を聞かせてもらいたいと思っている。
14歳といえばまだまだ子供である。とりわけ、育った環境も考え方も全く違うタイ人に囲まれて、多感な時期を過ごすというのはどういう気分であったのだろうか。
タイ人と接していると、こちらがこれまで当たり前だと思っていたことが平然と覆されることがある。それこそタイ人と日本人のムエタイ観の違いが良い例であろう。
日本人は格闘技としてのムエタイを自己実現や精神鍛錬と結び付けて考えている。つまりムエタイを武道や修行として捉えているわけだ。これは日本においてムエタイが空手と結び付いたことからも明らかであろう。
若者であれば、ムエタイを強さと結び付けて考えるかもしれないが、これとて自己実現の一環に過ぎない。いずれにせよ観念的なものであると思う。一方、タイ人のムエタイ観は武士道の国の日本のそれとは全く違う。
タイ人はムエタイをもっと目に見えやすいものと結びつけることが多い。例えば、俗的なものとしてはお金やギャンブル、より崇高なものとしては芸術(美しさ)や愛国心などだ。
もちろんタイにおいてムエタイが教育の一環として、或いは麻薬対策の一環として語られることもあるが、いずれにせよ即物的な感は否めない。端的に言うと、ファイトマネーのために闘うタイ人と自らお金を払ってでも自分を高めたいと願う日本人では、ムエタイの捉え方に大きな違いがあるのだ。
96ピナンジムで練習をするようになって以降、志朗君のムエタイに対する考え方には何か変化はあったのだろうか?そんなことについても聞いてみたいと思ってい
る。
~続く~
写真上:この日練習を始めたという少年とその父親