ムエタイ入門(11回)
『ムエタイは弱くなってしまったのか?』
さて、10回目となるこのコラムだが、今回からは「ムエタイは弱くなってしまったのか?」というテーマについて考えてみようと思う。
というのも、昔からのムエタイファンの間では、今のムエタイ選手と比べて昔の選手の方がよりアグレッシブであり、実力も上だったとする説が根強く、また最近では海外の選手がルンピニースタジアムやラジャダムナンスタジアムといったメジャースタジアムのタイトルを獲得したり、来日したタイ人選手が日本人選手にコロリと負けてしまったりすることが増えているように思えるからである。
一体全体、ムエタイ選手のレベルは本当に低下しているのであろうか?
もちろん、タイムを競い合う陸上種目や水泳、さらにはスピード、パワー、正確性等の計測/記録が比較的容易な野球、テニス、ゴルフなどの球技に比べると、格闘技と云われるジャンルにおける各時代の選手の優劣を判断することは非常に困難である。また、格闘技には相性の問題もあるため、実際には同時代の選手同士であってもその優劣を語ることは容易ではない。
一介のムエタイファンに過ぎない筆者が、このような厄介なテーマについてうんちくを語るというのは幾分荷が重い気もするのだが、過去十数年ムエタイを見てきて分かるようになってきたと思うこともある。今回からはこのテーマについてアレコレ書いてみたい。
まず、最近では、プット・ローレック、ウィチャンノーイ・ポンタウィー、プットパートノーイ・ウォラウット、セーンサック・ムアンスリンといった1970年代を代表する往年の名選手達、さらにはアピデート・シットヒランやアドゥン・シリソートーンといった1960年代を代表する伝説の選手達の試合映像もネット上で簡単に見ることができるが、個人的にはどうもこの時代のムエタイには感情移入しにくい。
というのもファイトスタイルがあまりに荒削りであり、今のムエタイに見られるような様式美が感じられないからだ。確かにこの時期のムエタイ選手の攻撃には圧倒的な重みがあるように思えるが、それは、全体重を預けんばかりの大振りなパンチや体勢が崩れてもお構いなしの思い切りの良い蹴りによるものであり、今のムエタイを見慣れた人の目には、幾分危なっかしく映ったり、また不器用に見えてしまったりするかもしれない。
そういう意味では、今のムエタイの方がコンパクトにまとまっているかもしれないが、より洗練されているように思う。
一方、ムエタイ選手のファイトマネーが過去最も高騰したのは、1980年代から1990年代初頭にかけてであった。この時代にはディーゼルノーイ、サマート、ゴーントラニー、チャモアペット、パノムトゥアンレック、ランスワン、カルハート、センティアンノーイ、ワンチャンノーイ、ゲーンサックといった現在40代から50代前半という人たちが活躍していた。
ディーゼルノーイは、対サマート戦においてムエタイ史上最高額と思われる1試合40万バーツのファイトマネーを記録(ただし本人の取り分は9.5万バーツだったとか)、ワンチャンノーイは、同じく対サマート戦において、自分の取り分だけで27万バーツを稼いだそうだ。
これらはいずれも本人から聞いた話なので(おそらく)それほど事実と違うということはないであろうと思われる。現在のムエタイ選手が稼ぐファイトマネーの最高額が10~15万バーツであること、しかも今の物価は当時の数倍にもなることを考慮すると、いかにこの時代のムエタイが隆盛を極めていたかが想像できる。
もちろんファイトマネーの額がそのまま「強さ」のレベルを表しているということもないであろうが、この時代のムエタイを「古き良き時代」と懐かしがるムエタイファンは多い。
業界の景気が良かった1980年代から1990年代初頭にかけてのこの時期のムエタイは、1960~1970年代のムエタイと見比べてみると、随分様変わりしているように見受けられる。
「格闘技としてのエキサイティングな部分は残しつつ、リングスポーツとしてのムエタイが持つ様式美が熟成してきた」とでも表現すれば良いであろうか。膝蹴り1つ、ミドルキック1つとっても、形が崩れず、コンビネーションもより多彩になってきている。
~続く~
写真 『ディーゼルノーイ対サマート-1982年に組まれた歴史的一戦』