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手負いの志朗、苦難を 乗り越え、接戦を制す

    
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手負いの志朗、苦難を 乗り越え、接戦を制す

『KICK REVOLUTION2015』(3月17日・タイ国ランシットスタジアム)で、志朗は同スタジアム認定インターナショナルスーパーバンタム級王座決定戦に出場する予定だった。しかし、決戦5日前に重度の炎症を患い、ドクターストップがかかってしまう。それでも、志朗はノンタイトル戦のリングへ。濃密な5日間を振り返る。
「試合をするのは無理」
トングサーム・ソーグルウォンとの王座決定戦を4日後に控えた3月13日、志朗はバンコクの病院にいた。その前日、左ヒジがズキズキと痛み出して練習にも支障が出るようになったからだ。
医者の診断は蜂窩織炎。簡単にいえば、雑菌による皮膚感染症だ。その場でメスを入れ、膿を出した。志朗は、痛みはそのちょっと前から感じていたと振り返る。

「発熱もあったので、ロキソニンを飲んで無理やり下げて練習していました」
17日に大事な試合があることを告げると、医者は躊躇なく冒頭の言葉を口にした。呆然とするしかなかったが、医者の指図をそのまま受け止めるわけにはいかなかった。
「自分がメインの大会ですからね。試合には出ないといけないと思いました」
すぐに日本在住の頼れる関係者に連絡した。「自分で膿を抜いてしまえばいい」という人もいれば、「俺だったら出ないね」という人もいた。一見出場に反対しているように思える後者はこうも言った。
「やるんだったら気持ちだね。気持ちでやるしかないね」
やることは決めた。問題は減量だった。医者からは「傷口に水をあてたら絶対にいけない」と言われているのに、汗を絞り出す行為は患部を当たり前のように濡らす。
試合の2日前、病院に足を運ぶと、看護師から二者選択を迫られた。
「治療を続けるのか。それとも減量を選ぶのか。どちらをを選んでください」

志朗は即座に答えた。

「減量する方を選びます」

「だったら、もう病院に来なくていい」

志朗の回想。

「膿をとってからだいぶよくなりました。痛みはまだ残っていたけど、2日間はヒジを曲げられなかったので違和感は残っていましたね」
試合を出場することは決意したが、志朗はSバンタム級まで落とすことは無理と判断。主催者側と話し合い、急きょ対戦相手はトングサームのまま57.5㎏契約のノンタイトル戦に出場することになった。

が、一難去ってまた一難。決戦当日、志朗が計量を行なうためにランシットスタジアムに足を運ぶと、トングサームは「57.5㎏でやるという話は聞いていない。当初の契約通り、Sバンタム級まで落とせ」と難癖をつけてきた。話がうまく伝わっていなかったのか。いずれにせよ、主催者は納得しているのだから志朗に非はない。試合は約束通りの契約体重で行なわれることになった。

試合はムエタイらしい一進一退の攻防に。接戦を制した志朗が試合を思い返す。
「3Rが終わった時点で相手がリードしていましたよね。それで4Rになったら自分がちょっとリードして、5Rは相手が負けみたいな展開だったかと」
2Rには左ヒジが相手のヒジとぶつかり合う場面も。志朗はストレスが凄かったという。「傷口が避けるのが怖かった。試合中にも血は出たし、1~2Rは痛かったですね」

ムエタイは結果が全て。コンディションは言い訳にできない。試合後、トレーナーのガイスイット氏はダメ出しをした。
「あんなミドルを蹴っていたらいけない。上を目指すなら、もっと変えていかないと」

まだ強くなれる余白がなければ、トレーナーは厳しく当たったりはしない。3月下旬に帰国した志朗は5月17日の次戦に向け、早くも動き始めている。

 

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