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新日本キックボクシング協会退会のお知らせ

  
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新日本キックボクシング協会退会のお知らせ

6月20日を持って、志朗選手麗也選手共に新日本キックボクシング協会に退会届を提出しました。ここに退会したことをご報告いたします。

以下、退会理由について退会届と共に提出したものを記載してあります。

 

退会理由書

2011年5月15日、17歳の時、後楽園ホールで江幡塁選手と3Rの試合をさせていただきました。あの頃、タイで最も厳しいといわれた96ピーナンジムの練習で鍛えられていた私は江幡塁選手との試合に自信がありました。しかし、その一戦で私は日本で初めてのダウンを奪われ、判定負けをしてしまいました。日本で唯一の負けはその試合だけです。試合後、江幡塁選手の強さに衝撃を受けました。江幡塁選手の次期挑戦者に決まったときも、あのパンチに打ち勝つ自信はありませんでした。しかし、気持ちを奮い起こして打倒江幡を胸に猛練習に励みました。

そして、2012年5月13日、日本バンタム級王者江幡塁選手に挑戦しました。競技人生がそこで終わっても悔いはないという思いで、リングに上がり闘いました。あの時、会場が、各ラウンドの最初から最後まですさまじい熱気で包まれていたのをリングで闘いながら体感していました。結果は引き分けでしたが、日本人同士のタイトルマッチとしては、どの団体にも引けをとらない最高の試合ができたと確信しています。だからこそ、江幡選手は、リング上で私に向かって「また戦おう」と言ってくれたのだと思います。その言葉を確かに受け止め、お互いに切磋琢磨して、江幡塁、江幡睦両選手と一緒に協会のベルトを賭けて闘い、新日本キックボクシング協会を盛り上げていくものだと信じていました。ところが、ランキング1位の私と再戦をすることなく、江幡塁選手はバンタム級のベルトを返上してしまいました。永久に江幡選手との日本王者のベルトを賭けての試合の機会が無くなりました。そして、江幡選手がWKBAの世界タイトルを獲得して、私もISKAの世界タイトルを取りました。同じ団体に同階級で世界王者が二人いれば、どちらが世界王者なのか、雌雄を決することは必要であり、またそれが新日本キックボクシング協会の繁栄にもつながると考え、治政館ジムの長江館長を通じて試合会場も試合時期も条件も江幡選手にお任せするということで、何回も申し込みましたが、受託されませんでした。今年の二月、長江館長に再度、新日本キックボクシング協会の伊原信一会長に対し、江幡塁選手との試合の実現を正式に申し込んでほしいと依頼しました。しかし、「方向性が違う」という理由で再戦が拒否されたことを長江館長からお聞きしました。格闘家として、「方向性の違い」の真意が理解できません。リングで真剣に闘う者の方向性は、どちらが強いかを確かめ合うことだけだと思います。今の自分があるのは、あの時、挑戦を受けてくれた江幡塁選手のお陰だと感謝しています。その江幡塁選手と再び試合をする機会がなければ新日本キックボクシング協会に在籍する意味はありません。これが新日本キックボクシング協会を退会する大きな理由です。長い間お世話になりました。

ISKA認定世界ムエタイバンタム級王者 志朗

 

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退会理由書

(ジムでは志朗選手のことを志朗君と呼んでいるので、そのように書かせていただきます)

私は中学生の時、志朗君に憧れてBeWELLジムでキックボクシングを始めました。そして、プロデビューしてからも、ずっと志朗君を追いかけてきました。

このたび、志朗君が新日本キックボクシング協会を退会するにあたり、目標としていた志朗君のいないリングで試合をしても意味がないことと現在の新日本キックボクシング協会の方向性が自分の目指しているものと違うために退会を決めました。

2014年8月24日、ディファ有明で、新日本キックボクシング協会の日本フライ級の王者となりました。その後、他団体の選手と新日本キックボクシング協会のフライ級王者として試合をしました。しかし、協会を代表して戦っているという気持ちにはなれませんでした。他団体の試合を見に行くと主催団体の王者と他団体の王者が試合をすれば、団体の面子を賭けて戦うという格闘技ならではの緊迫感がありましたが、新日本キックボクシング協会では治政館ジム所属の一ジムの選手が戦っているという印象をずっと持っていました。新日本キックボクシング協会のベルトに王者としての価値観を見いだせなかったため、その翌年、一度も防衛戦をすることなく、同タイトルを返上させていただきました。

今年の1月8日、志朗君がムエタイの現役ランカーバカイペットと賞金総取りマッチをしました。ムエタイをよく知っている人が、試合中にあんな怖いタイ人は見たことがないと言うほどの真剣勝負の試合でした。ラスト1秒で劇的なKOで終わりました。あの試合を見て、自分もああいう真剣勝負をしたいと思いました。今、タイに行って練習すればわかりますが、ムエタイはラジャダムナンスタジアムのタイトルよりテレビマッチのほうが強い選手が出ていて評価も高いです。新日本キックボクシング協会の目指すものがラジャダムナンスタジアムのタイトル獲得であれば、選手として目指す方向が違います。そういう方針であれば、どんなにいい試合をしても協会内では評価されないと考えました。まだ私はタイでは結果を出していません。志朗君の後ろ姿を一生懸命追いかけて結果を出したいと強く思っています。新日本キックボクシング協会には選手として成長させていただきました。これからは協会の外に出て、強い選手と戦って、自分の評価を高めるのがお世話になった協会、治政館への恩返しになると思います。4年間、どうもありがとうございました。

 

ISKA認定インターコンチネンタル フライ級王者 麗也

 

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