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ムエタイ入門(22回)

    
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ムエタイ入門(22回)

ムエタイが多分に難解、不可解なのは、原則よりも経験を重んじるタイ人の気質が大きく関係しているように思う。試合の流れ、判定基準、賭けのことと、どれをとっても分かりにくいのは、これら全てが明示的なルールではなく、暗黙の了解に基づいているためであろう。

ムエタイの判定における大前提であるラウンドごとの採点すらも疑わしいということについては既に述べた。真剣勝負である筈の試合において1~2ラウンドは様子見が続くというのも妙な話である。さらにはタイトルマッチにおいて体重ハンデが設けられることも珍しくない。また、日本人の感覚ではどう見てもダウンだと思うような場面において審判がカウントしないことも多い。

これらはいずれも、賭けを盛り上げるために長い時間をかけて培われてきた様式なのだ。勝ち負けが簡単に予想できるような試合では賭けが活性化しないため、実力の伯仲した選手同士の組み合わせと最後まで勝負の行方がわからない試合展開が求められる。表向きのムエタイルールだけに従っていては客足が遠のき、閑古鳥が鳴いてしまう。観客の大半を占めるギャンブラーたちを満足させるためには、なるべくどの試合も接戦になるようにしなければならないのだ。

これはプロモーターの腕の見せどころである。しかしプロモーターが単独で出来ることには限界がある。プロモーターの仕事は基本的にマッチメークであり、力の拮抗した選手を連れてきて、場合に応じて適切な体重ハンデを設けた上で試合を組むということくらいであろうか。幾ら選手としての力量が同じ選手同士であっても、試合開始のゴングとともに力の限り殴り合い、蹴り合ったのでは、1Rの早い段階から勝敗が見えてしまうだろう。それに、シーソーゲームにならない限り、賭けるタイミングも最初だけとなってしまうのではないだろうか。最初から最後まで観客が楽しめる試合にするためには、試合の流れにおいても一定の様式が必要であり、その結果として、例えば1、2ラウンドは流すといった暗黙の了解がスタジアム側や選手サイドの間で成立してきたのだろう。

何かの対談で、誰かが「タイ人は空気を読む人たちだから」と言っていたが、これには僕も激しく同意する。まさしく、タイ人というのは、その場の雰囲気に応じて態度を変えることのできる柔軟性を持った人たちだと思う。従い、スタジアム側や選手サイドがお客様(観客=ギャンブラー)のニーズに応えようとするのは自然の流れであろう。観客のニーズに応えるため、関係者全てが、長年の歳月をかけて発展させてきたのが、今のムエタイの在り方なのだと思う。

スポーツ競技としてのムエタイは、1920年代に国際式ボクシングのルールを元にして成立したものだ。その後約1世紀の間にどれだけのルール改定があったのかについて僕はよく知らないが、少なくとも今のムエタイのルールは、(肘、膝、足による攻撃が認められているということを除けば)そんなに国際式ボクシングのルールとかけ離れたものではない。しかし、実際に観戦してみると、試合展開から判定に至るまで、ムエタイと国際式ボクシングでは大きく異なることが分かるだろう。国際式ボクシングを見慣れた人からすると、まず間違いなくムエタイは理解し難いのではないかと思う。そして、そのムエタイが分かりにくいのは、前述の通り、明示的なルールだけでは説明できない暗黙の了解がその根底に横たわっているためであろう。

ところが、ここで強調しておきたいことがある。

勘違いして欲しくないのは、ムエタイに不可解なことが多いからといってムエタイがインチキだと言っているわけではないということ。また、ムエタイが難解だからといってムエタイが弱いと言うわけでは決してないのだ。

さらに言うと、分かりにくいということはつまらないということではない。むしろ、この分かりにくさが、より一層ムエタイを神秘的で魅力的なものにしているのではないかとさえ思えることもある。まさにアメージング・タイランドの世界である。

これはムエタイ選手一人一人のキャラクターについても同様である。ムエタイが僕らを惹きつけてやまないのは、そこにある「激しさ」や「強さ」とタイ人特有の脱力感や適当さとのギャップが堪らないからだと思う。

1990年代後半、それまで観光旅行でしか行ったことのなかったタイで、僕は1ヵ月のムエタイ修行を経験したが、ムエタイ選手の私生活は、僕の想像していたものとは全く違っていた。そもそも強さに対する考え方が、日本人がイメージするようなマッチョで男臭いものとは全く違っているように感じた。もちろん、ヤクザ映画(任侠映画)に出てくる菅原文太や高倉健のような渋みのある男らしさとも違う。

例えば、僕が練習していたバンコクの名門ジム(ギアペットジム)にいたナルナートという選手は、昼寝の時間に後輩たちと手をつないで寝ていた。凄まじい威力の左ミドルキックを武器に7チャンネルスタジアムの花形選手であった彼が、中学生だか、高校生くらいの子供たちと手をつないで寝ていたのである。普段の様子から判断すると、あっち系の趣味があるというわけでもなく、また、ホームシックの後輩たちを安心させようとしているようにも見えなかった。あれは一体何だったのかと今でも不思議なのだが、とにかく、僕にとっては大きなカルチャーショックであった。

~続く~
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<文・徳重信三>

写真 『ムエタイを理解するためには、タイ人を理解することが必要不可欠かもしれない』

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