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ムエタイ入門(8回)

    
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ムエタイ入門(8回)

『96ピナンジム』

バンコクのスクムビット通りと云えば、タイの六本木または広尾とでも形容したくなるような外国人の多く集まる洗練されたエリアであり、その中心に位置する高級デパートのエンポリアムは、外資系企業に勤める駐在員の奥様、タイの芸能人、各国のセレブたちが優雅にショッピングを楽しむスポットとなっている。

ところが、そのきらびやかなエンポリアムから南にわずか数キロ下ったところにタイ最大のスラム街が存在していることを知っている人は意外に少ないのではないだろうか。クロントイ(より正確にはクローントゥーイ)と呼ばれるこの地域のスラム街は、バンコクの心臓部を流れるチャオプラヤー川にへばり付くように密集しており、6万人~10万人とも云われる人が住んでいる。

そもそもクロンとは運河のことで、トイとは、昔この周辺に自生していたパンダナスと呼ばれる熱帯植物のことだそうだが、クロントイという地名には幾つかの意味が含められる。まずバンコク50区のうちの1つであるクロントイ行政区という意味。クロントイ区はバンコクのちょうど中心に位置しており、前述のエンポリアムデパート、エカマイのバスターミナル、そしてナナ・プラザに至るまでがこの行政区に入っている。次にクロントイには、クロントイ市場という意味も込められている。バンコクで最も大きな生鮮市場である。さらにクロントイにはクロントイ港という意味もある。バンコク港とも呼ばれるこの港は第二次世界大戦直後に完成したが、以来、港での荷役の仕事を求める地方の農民たちが押し寄せ、1950年代頃からスラム街が形成されるようになったと云われている。

不謹慎な言い方になってしまうが、フィリピンのスモーキーマウンテン同様、途上国におけるスラム街というものは、先進国の人々を魅了するようだ。貧困、売春、薬物、病気等の問題が渦巻くクロントイスラムには、何十年も前から、日本を含めた多くの国のボランティア団体や宗教団体が介入してきた。アメリカのブッシュ元大統領さえも過去にクロントイスラムを訪問している。タイ人であれば、国の発展に伴う負の遺産として目を背けたり、またはあからさまに軽蔑したりする人も多いスラム問題だが、先進国においては、この問題に関心を持つ人々が多い。恵まれない人に施しをすることで自らの悪行を浄化したいと願っているのか、それとも慈善活動による何らかの利益を期待しているのか。はたまた、経済的に恵まれない人々にこそ人間らしさや精神的な豊かさを見出しているのか。おそらく動機は千差万別であろう。

筆者の場合、クロントイを訪れる度、ここに住む人々をどのように理解するべきなのかが分からなくなってくる。確かにここは汚いし、臭いし、間違いなく衛生面でも問題があるように見受けられるのだが、住人たちの表情には陰りがあまりないように思えるし、その屈託な笑顔を見ていると、「豊かさ」の意味が分からなくなってくるのだ。比較の対象として適切かどうかは分からないが、僕がジャカルタで遭遇したタクシー運転手の血走った目やプノンペンで見かけた物乞いの卑屈な笑みを思い出すと、クロントイスラムの人たちが相対的に「貧しい」とは考えにくい。いや、もっと言うと、アジアの中で最も裕福なハズの日本に生まれたにもかかわらず、人の目ばかり気にして、毎日ビクビク生活している僕が、この人たちより「恵まれている」とは思えなくなってくることもある。いずれにせよ、このスラムの見え方は、足を踏み入れる人の心理を反映しているということであろう。

さて、そのクロントイスラムには、ムエタイ界でも有名なジムがある。高速道路下の96ピナンジムだ。96ピナンジムと云うと、ノーンオー・シットオー(現ガイヤーンハーダオ)のことを思い出される方もいるだろうが、ノーンオーはもういない。話がややこしいため、詳しく説明しよう。

10年程前、ノーンオーを96ピナンジムに連れて来たのはワンマイ・シットオー氏だが、パタヤビーチで仕事をしていた兄のウート・シットオー氏からシットオージムを譲り受けたこのワンマイ氏は、当時96ピナンジムのヒアティーの協力を得て、同ジムの施設やトレーナーを共有していたのだ。(ちなみに元々パタヤにあったシットオージムでは、日本でも有名なヨックタイ・シットオーとその弟であるタッパヤー・シットオー、さらにはその甥っ子であるランバー・ソムデート・シットオーなどが育っている)

以降、確か2008年であったと思うが、ワンマイ・シットオー氏は、自分が権利を有するノーンオーやその他ペットマンコン、プラカイセーン等を引き連れて、ルンピニー公園横のポーロー小路にジムを移転したため、96ピナンジムには、古株サムランチャイを除く若手の選手ばかりが残った格好となった。また、2012年中旬には、ジムの指導陣に反発したグループがごっそりと脱退してまた選手の数が減ってしまった。

それでもジムのチーフトレーナーであるグライスウィット・スンキラーノーンキー氏のムエタイに賭ける情熱は衰えておらず、バーンプリーノーイ(トン)やサッグモンコン(ベル)といった今後ジムの屋台骨を支えることになるであろう次世代選手の育成に余念がない。とりわけバーンプリーノーイの去年の活躍には目を見張るものがあり、ワンチャナとペットチャートチャーイにこそKOで敗れたものの、その他の試合では負けなしの戦績を残し、ファイトマネーも1.5万から2.5万、3.5万、4万とみるみる上がっており、ますます今後が期待される。

バーンプリーノーイは、チャオプラヤー川を隔てた対岸のサムットプラカーン県プラプラデーン郡から熱狂的なムエタイファンである父親に連れられて96ピナンジムにやってきた。
96-1

~続く~

写真「右がバーンプリーノーイ」

シンラパムエタイ/徳重信三

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