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【ムエタイ入門 第48回】体重の問題

  
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【ムエタイ入門 第48回】体重の問題

ここ最近の日本人ムエタイ選手の活躍には目を見張るものがある。

 

先日強豪プラカーイペットにKOで勝利した、本ホームページでもお馴染みの志朗選手の他にも、2015年12月にプロムエタイ協会のフライ級チャピオンになった名古屋のカイト・ウォーワンチャイ(福田海斗)選手、タイ人相手に目下5連続KO勝利中の福岡のイッセイ・ウォーワンチャイ(石井一成)選手などがいるし、もちろん現役ラジャダムナンスタジアムライト級王者の梅野選手、そして同じく2016年6月にラジャ王者になったT-98(今村卓也)選手もいる。そして、今最も注目されているのは何と言っても2016年12月5日に現ルンピニースタジアムスーパーフライ級王者のワンチャローン・PKセンチャイジムにKO勝ちした那須川天心選手であろう。

 

サーイ・アンタパン(ならず者のサウスポー)と呼ばれ、歯に衣着せぬ発言から問題児扱いされたこともあったが、ワンチャローンはタイでも非常に人気の高い選手であり、最近ではファイトマネーも10万バーツの大台に乗っていた。那須川選手は、そんなワンチャローンをKOしてしまったのである。この結末を予想した人は殆どいなかったのではないかと思う。

 

この試合の動画を見た僕は、梅野選手以外にもムエタイの真のトップ選手に勝てる日本人が出てきたのだなという印象を強く持った。また、日本人選手のレベルが全体的にかつてないほど上がって来ているのだなとも思った。まったく一昔前までは考えられなかったことである。

 

試合後ワンチャローンは自分でアップした動画を通じて次のようなことを言っていた。

 

『ネット上では、(KNOCK OUT興行に参戦した)タイ人がこぞってKOで負けるなんておかしいとか、お金が動いたとか、ワンチャローンは八百長をやったなんて言う輩がいるが、そんなわけないだろう。トレーナーとか俺の周りの人は俺に賭けていたんだぜ。俺も含めてみんな勝ちたかってけど勝てなかったんだ。10万バーツも稼ぐスーパースターがなんて様だとか言う人もいるけど、俺だって勝ちたかったよ。けど、相手も日本のスター選手だ。こんなのを(こんなトリッキーな攻撃を)食らったことは今までになかったんだ。(最後の一撃をもらった際には)あまりに衝撃が強くて、それとマットに頭をぶつけたこともあって涙が出てきたよ。意識をなくしたことも、記憶をなくしたことも、ここまで痛い思いをしたことも全て始めての経験だった。病院に行ってパラセタモール(痛み止めの薬)を4錠(2回に分けて2錠ずつ)も飲んだくらいだ。俺の電話番号は080-XXXX-XXXXだから、文句のある奴は電話してこい。俺が叱りつけてやるよ。』

 

負けたことの悔しさや自分の不甲斐なさよりも絶対に八百長はやっていないということを強調している点が何ともタイ人らしくて笑えるが、ワンチャローンも那須川選手の強さは十分に認めている様子であった。ルンピニースタジアムの現王者にこんなことを言わせてしまうとは、那須川天心恐るべしである。

 

ただ、それでもどうしても気になってしまうことが1つある。

 

体重のことだ。

 

ブアカーオのときもそうであったが、観る側がもう少し体重のことについて理解しておく必要があると思う。ワンチャローン本人は体重に関する言い訳じみたことを一切言ったり書いたりしていなかったが、ムエタイファンの僕としてはどうしても気になってしまう。

 

(2016年10月~11月頃の本人の弁によると)ワンチャローンの通常体重は最大でも56キロであり、試合は114ポンド(51.7キロ)でも可能だが、その契約体重ではなかなか相手が見つからないため、バンタム級(118ポンド=53.5キロ)前後で試合を行っているという。実際彼はルンピニースタジアムのスーパーフライ級(115ポンド=52.1キロ)の王者なのである。

 

しかも、これはあくまで当日計量の場合の話である。従い、日本のような前日計量であれば、おそらく彼にとってのベストな契約体重は50~51キロくらいなのではないかと思う。なぜなら、周知の通り、前日計量の場合は、体力を回復する時間が十分にあるからである。

 

それでは一方の那須川選手の方はどうであったのだろうか。これについて僕は詳しい情報を持っていないが、毎回55キロ契約で試合をやっていることを考えると普段60キロ程度はあるのではないだろうか。(ちなみに、K1の55キロ級王者であった武尊選手は、何と当時から通常体重が64キロもあったのだとか…)

 

つまり、今回の55キロ契約というのは明らかに那須川選手に有利な体重設定であり、ワンチャローンにとっては余りにも重すぎたということである。あくまで推定でしかないが、おそらく、この日リングにステップインした時点での両者には少なくとも2~3キロの体重差はあったのではないかと思う。これは、計量後、ワンチャローンが通常体重の56キロまで戻し、那須川選手が(十分に体のキレを維持できる範囲内であると思われる)58キロ~59キロまで戻していたと仮定しての話である。

 

もちろん、減量はやればやるほど良いというものでもない。ライバルである矢吹丈と試合をするために本来のウェルター級からバンタム級まで無理に体重を落とした結果死んでしまった力石徹の話を持ち出すまでもなく、極端な減量は試合時のコンディションの悪さにつながる。

 

それでもやはり適切な減量は試合において有利に働く。計量が終わって当日リングに上がるまでの間に体調を回復できる範囲内であれば、減量幅が大きいほど計量後のリバウンドによって相手よりも大きな体で試合に臨むことができるために有利となる。とりわけ水抜きして適切な範囲内で減量した体であれば、計量後に水分を摂取することで通常時に近い体重にまで戻せてしまうことも多い。

 

前日計量が主流のタイにおいて、個人差はあるものの、その適切な減量の幅は、バンタム級~フェザー級でざっと4~5キロと考えられているのではないかと思う。数週間かけてじっくり落とすような方法ではなく、試合の数日~1週間前から食事制限と水抜きによって一気に落とす。そして殆どの選手が最後の数百グラム~1キロほどを計量会場においてサウナスーツを着て走り込むことで落とすのだ。しかし、繰り返しになるが、これがもし前日計量であれば、6~7キロでも問題ないということになるであろう。

 

一方、世の中には「体重に関係なく本当に強い奴は強い」なんてことを言う人が大勢いるのも事実であり、この手の主張を退けることはそれほど簡単ではない。なぜなら、格闘技においては、自分よりも大きな相手を倒してきた選手というのが実際に存在するからである。

 

例えばプロボクシングの世界であれば、マニー・パッキャオは自分より一回りも二回りも大きな相手を倒してきたし、総合格闘技の世界であれば、エメリヤーエンコ・ヒョードルも自分よりはるかに大きな選手を破ってきた。ムエタイの世界でも、ブアカーオは通常体重が67~8キロしかないにもかかわらず70キロ契約のK1の世界で大活躍した。

 

しかしながら、ここで忘れてならないのは、それらの選手が卓越したスピードや比類なきテクニックを持っていたということ。もしくは、体重差を跳ね返すだけの圧倒的な実力差があったということである。逆に言うと、体重差が問題にならないのは、それだけ実力差がある場合であるとも考えられる。

 

ところが、今のムエタイを取り巻く環境は大きく変化しており、タイのみならず、世界中で優れた選手が育ってきている。これは、競技としてのムエタイの歴史を通じて磨かれてきた技が、情報技術の発展とともにタイから世界に伝わりやすくなったということも関係しているであろう。20年前にはタイ人選手の専売特許のように思われていた芸術的な動き、例えば、予備動作の一切ないノーモーションでの攻撃、鋭角な膝蹴り、軸の全くぶれない蹴りの連打、首相撲における重力すら感じさせない崩しなどを当たり前のように披露する選手が各国から出てきている。7~8年ほど前にイタリアのペトロシアンが日本のリングに登場した際、(本当に本人が口にした言葉なのかは知らないが)日本のマスコミは彼のファイトスタイルを「ネオムエタイ」と表現して騒ぎ立てたが、何のことはない、まさに典型的なムエタイスタイルであった。それまで、どこか動きがぎこちなく、不器用なイメージのあったファラン(白人)の中から、実際の試合で芸術的なムエタイの動きができる選手が登場したということに他ならないと僕は思った。むしろ彼の非凡なところは、(これは梅野選手にも当てはまることかと思うが)タイに長期滞在することなくそのムエタイの動きを自分のものにしてしまっていたことだと思う。おそらくこれは努力云々とは別次元のセンスや才能も関係しているのかもしれない。うっぷす、うっぷす。少しまた話が逸れてしまったが、要するに、僕の言いたいことは(キックボクシングやK1も含めた)ムエタイの世界において、現在世界とタイの力の差が限りなく縮まってきているということである。

 

こうなってくると、リング上での数キロの体重差は大きな意味を持つようになる。それなのにタイ人は相も変わらず体格差のある試合を平気で受けてしまっている。

 

契約体重(キャッチウェイト)について、タイ国内の試合であれば僅か0.5ポンド(0.22キロ)を巡って揉めることもあるというのに、タイ国外での試合となった途端に無頓着になるというのは一体どういうことなのか?

 

例えば、今タイでナンバーワンに最も近いと思われるパンパヤックとセーンマニーの2人は2016年5月に対戦しているが、この時の契約体重は128ポンド(58.05キロ)であった。当時の両者の通常体重はパンパヤックが60キロ程度で、セーンマニーが62キロ程度であったと言われており、従い、この128ポンドというのは完全にセーンマニーに有利な契約体重だったのである。当初パンパヤック陣営は126ポンド(57.1キロ)以下での試合を希望していたが、セーンマニー陣営がそこまでの減量は無理だと断り、結局、128ポンドでの試合となりセーンマニーの勝利となった。この頃パンパヤックは123ポンドでも試合が出来ると言っていたので、123~126ポンドはパンパヤックに有利であり、128ポンド以上はセーンマニーに有利だったと言うことができる。なぜなら、当時のパンパヤックにとって123~126ポンドは比較的楽に落とせるウェイトであったのに対し、セーンマニーがここまで落とすとなるとかなりの体力を消耗し、試合の時間までに完全に回復できない可能性が高かったからである。つまり、試合当日のリング上で体重的に勝っていたとしても、スピードやスタミナに影響が出てしまっては意味がないためである。おそらく、このレンジの契約体重であればほぼ間違いないパンパヤックが勝っていたことだろう。一方、128ポンド以上でセーンマニーが有利だというのは、お互いにリング上でベストなパフォーマンスを発揮できる体重ではあるものの、ナチュラルウェイトの違いから、セーンマニーの方が当日リング上での体重が重くなる分だけ有利だからである。お分かりいただけたであろうか?ムエタイの一流選手の場合はこれだけ契約体重にはこだわっているのである。

 

さらに、日本と違うのは、タイの場合、関係者のみならず、賭けをやるようなファンの誰もが、各選手の通常体重、当日の予備計量時の体重、計量本番時の体重または最終的に計量をパスしたときの体重などを事細かに把握している。それくらい体重の問題は試合の結果を左右する重要な要素であると捉えられているのだ。

 

おそらく、タイ人選手が海外での試合において契約体重に無頓着に見えるのは、旅の恥はかき捨てとまでは言わないにしても、タイ国内での試合に比べて楽に考えているというのがあるのではないかと思う。過去、ムエタイの威信を守るため、ムエタイ関連の団体が普段から練習をちゃんとやっていない選手を海外で試合させないように呼び掛けるということがあったが、体重についてももっとシビアに考えてもらいたいと思う。特に自分たちが慣れている当日計量ではなく、前日計量の場合にどこまで減量を行うのが良いのかということについてもっと真剣に考えるべきだと思う。

 

翻って日本のマスコミや格闘技ファンも選手の体重についてもっと注意を払うようにすれば、よりフェアな見方ができるようになったり、より試合を楽しんだりすることができるようになるのではないだろうか。

 

~続く~

 

写真:『ワンチャローン・PKセンチャイジム』

TEXT:徳重信三

Photo from Facebook page “มวยไทย อยู่ในสายเลือด MuayThai Never Die”

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