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【ムエタイ入門 第51回】誰のための審判・レフリーなのか?

  
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【ムエタイ入門 第51回】誰のための審判・レフリーなのか?

前回予告した通り今回はムエタイの判定基準について書こうと思っていたのだが、途中まで書いたものの止めることにした。ギャンブラーの思惑に沿った試合運びの重要性とは別に、もっと基本的なこととして、どのような攻撃が観客や審判から高く評価されるのかということについてだったのだが、書き進めるうちにどうも気乗りしなくなってきた。

 

というのも、最近行われたある2つの試合の結果があまりにも僕にとって衝撃的であり、タイ式のやり方がインターナショナルな舞台で必ずしも通用しないということの虚しさを感じてしまったからである。

 

その2つのうちの1つは、Glory 65キロ級タイトルマッチとして5月20日にオランダで行われた、ロビン・ファン・ロスマレンとペットパノムルン・ギアットムー9の試合。

 

この試合においてペットパノムルンは、これでもかと言うほどロスマレンの腕を蹴り続けたが、5人の審判のうち1人が47対47でドローと採点し、残り4人全員がロスマレンを支持したのだ。しかもそのうちの1人は50対44という大差の判定である。

 

僕は白人のムエタイ選手について詳しくないので、このロスマレンという選手がどういう選手なのかはよく知らないが、少なくともこの試合に限って言えば、全くたいしたことのない選手であった。身体が頑丈で、ハートも強いということは間違いないのであろうが、殆どテクニックはなかった。ペットパノムルンの左ミドルをカットできずに受け続けて右腕を真っ赤に腫らしながら、闇雲にローキックを蹴ったり、パンチを放ったりしていただけである。

 

全く理解できない判定であり、タイ人同士のタイにおける試合であれば、おそらく途中で試合を止められていたような内容である。ムエタイを見慣れた僕にとってはそれくらい圧倒的にペットパノムルンが優勢な試合であった。

 

実際試合後のペットパノムルンは無傷のきれいな顔をしていたのに対し、ロスマレンの顔は腫れていた。なぜなら、左ミドルのみならず、ペットパノムルンはパンチも的確にロスマレンにヒットさせていたからである。

 

この試合においては、採点の途中経過をラウンドごとに公開するオープン・スコアリング・システムが採用されており、僕が見た動画では解説者(実況者?)が「ペットパノムルンの左ミドルは効果的に見えたが、ロスマレンが前に出続けたために審判は彼にポイントを入れたのだ」と試合中に説明していた。

 

全くふざけた話である。

 

もし前に出るだけで勝てるということであれば、テクニックも何もあったものではない。確かにペットパノムルンは常に下がり続けていたが、これは昔からの彼のスタイルである。いや、むしろ典型的なムエタイのスタイルと言ってもよい。そもそも、下がるということと逃げるということは違う。ペットパノムルンが下がりながらも手(足)を出し続けていたということは審判の目には見えなかったのであろうか。もしかすると、顔面や首筋にでも入らない限り、腕を狙ったミドルキックは評価の対象にはならないのだろうか。

 

ただ、この審判の判定に対して世界中のファンが満足していたというわけではなさそうだ。むしろ試合直後にアップされた動画(なぜか現時点では削除されてしまった模様)の視聴者コメント欄においては、英語で書かれたコメントの殆どすべてが「インチキ判定だ」と痛烈に審判を批判する内容のものだったからである。

 

これを読んだ僕は、あながち僕の見方もムエタイ贔屓というだけではないのかもしれないなと安心すると同時に、公平に判定を下すことの難しさを考えさせられた。ロスマレンが元オランダの選手であったことを考慮すると、この判定はいわゆるホームタウンディシジョンというやつだったのだろう。

 

さて、もう1つの試合はと言うと、6月18日に埼玉県で行われたK-1でのゲーオ・ウィラサクレック対野杁正明選手の試合である。

 

この試合も酷かった。

 

既に結果についてはご存知の方も多いかと思うが、3ラウンドまでは全く一方的な展開で、野杁選手の見せ場が少しもないほどにゲーオ優勢であったが、事もあろうに2名の審判がドローと判定を下し、4ラウンドまで試合が続けられた上でゲーオの負けとなってしまった。少なくとも僕の目にはゲーオの完封試合に写ったので、3ラウンドが終わった時点で30-27以外はあり得ないと思っていたが、まさかの結果である。

 

また、僕はK-1のルールをよく知らないため細かなことは言えないが、ゲーオばかりがレフリーからホールディングの注意を受けていたことも不可解であった。ホールディングと呼ぼうが、クリンチングと呼ぼうが、ムエタイでは合法的なテクニックである。そもそも、もともと首相撲のテクニックを持たない選手が試合中不必要に相手に組み付き、膠着状態が続くことを避けるため、掴みに対する規制を設けたのではなかったのか?試合の流れを止めずに相手の首に手を掛けたり、相手の胴体に手を回したりすることの何が問題であるというのか?パンチによる攻撃しか認められていない国際式ボクシングと混合しているのであろうか?いずれにせよ全く意味が分からなかった。

 

そして何より驚いたのは、3ラウンド終了後の判定結果が読み上げられる前の野杁選手の態度である。セコンドからの指示だったのかどうかは知らないが、自分の勝利をアピールしていたのだ。これには、正直驚くとともに、何か得体の知れないものを見たような気分になった。

 

もしかしてこの選手は本当に自分が勝ったと思っていたのだろうか。だとすると、この選手がやっている競技は僕が知っているムエタイとは全く異なる競技なのであろうか?いや、そんなことはないだろう。その成立の過程からして、キックボクシングはムエタイの子供で、K-1はその孫のようなものだからである。

 

とりわけ、ムエタイの技のうち危険性の高いもの(肘など)や難易度の高いもの(首相撲など)を制限した上で、一般的な視聴者にも分かりやすいようにKOを重視した競技がK-1であると僕は理解しているが、どちらも同じ人間がやる競技であり、本当に接戦でない限り、少なくとも試合をしている選手本人は、自分が勝ったか負けたかくらいは分かるはずである。従い、ルールの違いは本質的な問題ではないと思う。

 

僕には本当のことは分からない。ただ、もしかしたら、本人が意識していたかどうかは別にして、ここが日本という自分にとってのホームグラウンドであるということを彼は知っていたというだけのこと、ただそれだけのことなのではないだろうか。そんなことを思った。

 

どんな格闘技においても、その判定が人の主観に頼らざるを得ない限り、ホームタウンディシジョンというものが存在するのは仕方がないことだと思う。とりわけプロ格闘技においては、殆どの場合、審判やレフリーもプロである。プロの定義は単純であり、要するに何らかの報酬をもらっているということである。少しでも報酬をもらっている以上はどうしてもシガラミが発生する。つまり、気を使わないといけない相手が出てくるということである。

 

そして、その気を使わないといけない相手は、それぞれの競技や国を取り巻く環境や文化によって異なる。ムエタイであれば、審判・レフリーが最も気を使わないといけない相手は観客の大半を占めるギャンブラーであろう。GloryやK-1において審判・レフリーが気を使っているのが誰なのかについて僕はよく知らないが、少なくとも今回紹介したオランドと日本での判定を目にする限り、その規模の大きさの割には、世界的なマーケットを意識しているという感じはしなかった。スマホ画面やコンピュータースクリーンの向こう側にいる膨大な数の視聴者よりも、むしろ自分たちの目の前の主催者、既存のスポンサー、国内向けのテレビ局などに目が向いているのではないかという気がした。

 

今日本では、一連の政治スキャンダルがきっかけとなり「忖度(そんたく)」という言葉が流行っているが、これは一昔前にブームとなった「空気を読む」という言葉と本質的には同じであろう。誰もが右を見て左を見て生きているのである。そして、これは古今東西普遍的なものであろう。オランダであろうが、日本であろうが、そしてタイであろうがこれは同じことなのだと思う。

 

しかしながら、格闘技に関して言うと、審判・レフリーだけは、誰にも忖度せずに判定を下せるだけの権限と権威が与えられるべきであろう。インターネットの普及により、世界中どこの国で行われる試合であっても、リアルタイムまたはほんの僅かな時間差で視聴できる時代である。開催国の選手に肩入れするようなジャッジをしていてはグローバルな支持を集めることは絶対に不可能である。ましてや、ナショナルヒーローを強引に作り出そうとでもしているのだというのなら、その手法自体が時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ない。

 

結局、審判・レフリーが考えるべきことは自分にとっての本当のお客様は誰なのかということだと思う。例えば、彼らの仕事の報酬が主催者側から支払われるとしても、最終的にそのお金を生み出しているのはファンなのだ。ファンを失望させるような判定を下していては盛り上がるものも盛り上がらなくなってしまう。政治家にとってのお客様が国民(有権者)であるのと同じように、審判・レフリーにとってのお客様はファンである。もちろん、世界中の誰もが納得する判定というのはあり得ないことなのかもしれないが、それでも、なるべく公平に、なるべく客観的に、そして、なるべく幅広くファンの目線を意識して判定を出すということは、格闘技の発展のために非常に重要なことだと思う。

 

~続く~

 

写真:『問題となったロビン・ファン・ロスマレンとペットパノムルンの一戦』

 

記事/徳重信三

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