【ムエタイ入門 第46回】梅野選手、ラジャダムナンスタジアムのチャンピオンに
10月23日、梅野選手がラジャダムナンスタジアムのライト級王座を奪取した。
梅野選手に関する話は本人の談話も含めて既に数多く出ているので、まずはヨードレックペットについて書いてみたいと思う。
ヨードレックペットという名前は、「ヨード」が最高、トップ、頂点などの意味であり、「レック」が鉄、「ペット」がダイアモンドをそれぞれ意味する。
この選手について特筆すべきことはその体格。なにしろ小さい。本人の弁によると通常体重は66~67キロ、身長は162センチ、最も得意とする契約体重は132ポンド~133ポンド(約60キロ)だそうだ。おそらく誰と対戦しても体格的には不利な筈なのだが、それでも持ち前のハートの強さと攻撃の重さで2015年11月18日にラジャダムナンスタジアムのライト級チャンピオンにまで登りつめた。
まあ、ただ、チャンピオンになったとは言っても、まだまだバンコクのムエタイシーンにおいてはそれほど有名な選手ではなかった。お恥ずかしながら、梅野選手と去年の12月に最初に対戦するまで、僕は彼のことを殆ど知らなかった。1994年12月2日生まれなので、この時点でも決してキャリアが浅いというわけではなかったが、梅野選手がそれまでに対戦してきたムアンタイやセクサンと比較すると、それほど知られた選手ではなかったのだ。
ところが、2015年12月23日の試合で梅野選手を3ラウンドにKOで下して以降、ヨードレックペットは本格的にブレークした。
2016年1月23日 対ロットレック 判定負け
2016年4月12日 対ヨックウィタヤー 判定勝ち
2016年5月5日 対ゴーンサック 判定勝ち
2016年5月30日 対ソーンコム 判定勝ち
2016年6月24日 対カイムックカーオ 判定負け
2016年7月18日 対パンパヤック(シットジャーティック) 3RKO勝ち
2016年8月11日 対カイムックカーオ 2RKO勝ち
2016年9月2日 対ムアンタイ 判定負け
2016年9月23日 対パンパヤック(シットジャーティック) 3RKO勝ち
一流選手ばかりが相手であるため、決して勝ち星だけが続いたというわけではないが、ヨードレックペットのアグレッシブなファイトスタイルは毎回観客を沸かせる。そしてKO決着も多く、とりわけ、肘の切れ味では当代随一と言っても良いほどのパンパヤック・シットジャーティック(注:パンパヤック・ジットムアンノンとは別人)を2戦連続でKOしてしまったのには驚いた。2016年は彼にとって大当たりの1年であり、今年5月の時点で8万バーツだったファイトマネーは、9万、10万、12万バーツと急激に高騰している。そして、元々地方での試合で名前を挙げたことから、以前は「田舎のヒーロー」や「LA(ローイエット)のランボー」などと呼ばれていたが、最近では「現代の鉄人」などとも呼ばれるようになっている
ヨードレックペットは、チョンブリー県の軍事基地内にあるムエタイジムで練習しているが、このジムには、ワンソンチャイ興行を代表するタノンチャイやタクシンレックなど、兵役を受けたムエタイ選手も多数集まっている。これら超一流の選手と一緒に質の高い練習が出来ているということが彼の活躍を後押ししたのであろう。
さて、2016年10月23日、そんな絶好調のヨードレックペットに梅野選手は勝ち、ラジャダムナンスタジアムのベルトを手にした。
これは快挙以外の何ものでもない。日本中のキックボクサーが究極的なゴールに定めているであろう高みに遂に到達してしまったのだ。
一方、その夜、この結果を聞いた世界のムエタイファンやムエタイ選手の中には冷ややかな反応を示す者も数多くいた。
特にFacebook上でのコメントで多かったのは「ラジャダムナンスタジアムのタイトルマッチがなぜ日本で行われるのか?」や「日本円の力が働いたのではないか?」といったものである。
ところが、翌日になって実際の試合の動画を見た人たち、特にタイ人の間からは次のようなコメントも数多く寄せられていた。
「(ヨードレックペットは)手数が少なかったのだから負けて当然だ。相手の国で試合をやるのであれば、もっと積極的に攻撃しないと勝てないことは最初から分かっていただろう。」
「これこそ5ラウンドをフルに競い合う本当のムエタイだ。日本人が強くなってきているのだろう。」
「(ヨードレックペットは)負けて然るべき。2ラウンドは取ったとしても、残りのラウンドは全て相手(梅野選手)に取られている。」
「タイの採点ルールも早く国際基準に合わせるべき。現代のムエタイではちゃんと攻撃をするのは4ラウンドだけで、5ラウンドには踊りだす。もううんざりだよ。」
この日の判定は3者ともに49対48。ラウンドごとの採点はともかく、少なくとも合計点に関しては僕も妥当なものであったと思う。
当たり前のことかもしれないが、日本での試合では基本的にギャンブルは行われない。これが何を意味するかと言うと、審判が自由に自分の意思を表明することができるということである。ギャンブラーからのプレッシャーが全くなかったために自分の目で見た、正真正銘のラウンドごとの採点を発表すれば良かっただけではないかと思う。そういう意味では、審判にとって楽な判定だったのではないだろうか。
どうもヨードレックペット本人は、試合終了間際から、ポーズではなく、本当に自分が勝ったと思っていたようにも見受けられたが、もしそうだとすると、それは勘違いだと言わざるを得ない。
なぜなら場内で賭率が提示されていない以上、審判はルールブックに基づき、普通に、より効果的な攻撃をより数多く相手に決めた選手に点数を入れている可能性が高いからである。言い方を変えると、タイ国外で試合をやる限りにおいては、タイ人と非タイ人、格上と格下、チャンピオンと挑戦者、誰の開催した興行であるか、直近の戦績、仕上がりの良さ、計量時の体重等、リング上での実際のパーフォーマンスとは関係のない要素が判定に及ぼす影響が少ない(はずだ)からである。
それでは、もし仮にこの日の試合がラジャダムナンスタジアムで行われていたとしたらどうなっていたのであろうか?同じ結果になっていたのか、それとも違う結果になっていたのか?前日計量VS当日計量、声援の大きさ、気候や食事の違いなどを考慮せずに、単にこの日と同じ試合内容がラジャダムナンスタジアムで繰り広げられたと仮定すると、どちらが勝者になったのであろうか?
この日の試合後ラジャダムナンスタジアムの某プロモーターが「タイで試合をやっていても同じ結果になっただろう」という趣旨のことを発言したという記事を興味深く拝見させて頂いたが、率直に言うと僕の考えは違う。
ちょっと話が長くなってしまいそうなので、これについては次回、僕なりの見解をお話させて頂きたいと思う。
~続く~
写真:「右端がヨードレックペット。真ん中の赤パンツがタノンチャイ。前で寝転がっている黒パンツがタクシンレック。ちなみにこれはタノンチャイの除隊記念写真だそうだ」
Photo Credit: Hong Thanonchai (Facebook)
記事:徳重信三