ムエタイ入門(2回)
そもそもムエタイとはどういう意味なのか?
タイとはそのままタイ国のことだが、現在のタイ語においてムエ(ムアイ)とはケンカ、ボクシング、殴り合い、戦い等を意味しており、従ってムエタイとは「タイボクシング」とか「タイ式の戦い」となる。厄介なことにムエタイはしばしばムエと省略して呼ばれるため、「ムエタイの試合経験があるか?」という意味で「コイ・チョーク・ムエ・マイ?」とタイ人に質問すると、冗談半分で「リングの上じゃなくてストリートでならあるよ」という答えが返ってくることがある。
東南アジア諸国においては、どこの国においてもムエタイと同じように肘、膝、手、足を使った格闘技が存在する。これらのうち、ミャンマー(旧ビルマ)の格闘技であるラウェイはムエパーマー(ビルマのムエ)、カンボジアの格闘技であるプラダル・セレイはムエカメーン(カンボジアのムエ)、ラオスの格闘技であるムエラーイラオはムエラオ(ラオスのムエ)と、それぞれタイでは呼ばれている。1960年代に野口氏の考案したキックボクシングという名称に反感を覚えるタイのムエタイ関係者の中には、「日本式のボクシングなんだから、キックボクシングではなくムエイープン(日本のムエ)と呼べばいいだろう」という人もいる。
それではこのムエ(ムアイ)という言葉は一体どこからやってきたのだろうか?
ムエという言葉の語源を探ることは、ムエタイの起源を考えることにもつながることであり、色んな人が色んなことを言っている。例えば、タイで最も有力な説は、ムエがサンスクリット語の「Mavya」を語源に持ち、その意味するところは「結ぶ」であるというもの。ムエタイでは頭に付けるモンコンの他に腕につけるパープラチアット等身体のあちこちにお守りを巻くため、このような名称が付いたというのである。またムエとはパーリ語の「マンラ」に由来し、元々インド式レスリングまたはその選手を指しているとも言われる。その他、カンボジア人は、ムエとはカンボジア語で「1」を表す「ムアイ」から来ていると言い、ムエタイのルーツがカンボジアにあると主張している。
筆者は、ムエの語源がサンスクリット語にあろうが、パーリ語にあろうが、はたまたクメール語にあろうが、遡ってみると最終的にムエタイの起源は古代インドにあると考えるのが一番自然なのではないかと思っている。
タイ人が学校で習う自国の歴史において、タイの主要民族であるタイ族は、スコータイ王朝時代以前(13世紀以前)に中国南部辺りから南下してきたと言われている。このためムエタイの保護と普及を推進しているタイの公的機関では、ムエタイの歴史をタイ族の歴史に重ね合わせようとしているが、正直この考え方には無理があるように思う。そもそもタイ人とタイ族は同じ意味をなさない。混血が進んだ結果、一体今のタイに純粋なタイ族が存在するのかどうかも疑問である。現在のタイ人には、先住民族だと考えられているモン族やクメール族の他にも、中国系、マレー系、インド系など多くの民族の血が混ざっていることは明白だ。またタイ国(シャム)が独自の文化を開花させたアユタヤ朝時代以前において東南アジア一帯がインド文明の大きな影響を受けていたことは周知の通りであり、ムエタイだけがその影響を受けていないと考えるのは不自然である。やはりムエタイのルーツを考える上でインドは外せないのではないだろうかと思う。
ただし、ここで考慮しないといけない重要なことは、ムエタイを今の形に競技として発展させてきたのは間違いなくタイ国であり、このことこそ最も評価されるべきことだということ。とりわけ1920年代に国際式ボクシング同様のリングやグローブが導入されたことは、武術から競技へと脱皮する上での画期的な”発明”であった。格闘技や武術は世界中に存在するが、タイでは自国の伝統的な武術(ムアイボラーンやクラビクラボン等)と国際式ボクシングを融合させてしまったわけである。この辺りにタイ人の柔軟性と応用力を感じる。日本でもフルコンタクト空手やグローブ空手が台頭してくるまでは、「武道家が本気で相手を蹴ったり殴ったりしたら一撃で相手が死んでしまう」なんてことが本気で信じられていたそうだが、ある程度の危険性を排除した上で競技化したところ、そんな簡単に人間は死なないということが分かってきたわけだ。
リングスポーツとなったムエタイは、より実戦的なものとなっていく。毎日の練習にしても完全に試合を想定したものだ。1試合3分5ラウンドを戦い抜くだけのスタミナを養うため、どの選手も毎日10キロ程度は走る。シャドーボクシングは試合での相手の動きをイメージして行う。さらにミット蹴りではトレーナーが攻撃してくる。首相撲の練習では体幹を鍛えるとともに相手のバランスを崩すための様々なテクニックを身に付けることができる。
リングスポーツとしてのムエタイは、現在に至る100年近くにも渡って勝つためのノウハウを蓄積してきたのだ。ムエタイをして「立ち技最強の格闘技」であるという人がいるが、あながち間違っていないかもしれない。
~続く~
シンラパムエタイ/徳重信三