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ムエタイ入門(38回)

    
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ムエタイ入門(38回)

さあ、それでは9月10日に行われたセクサン・オー・クワンムアン対梅野選手の試合を再度振り返ってみよう。まずはこの試合の賭率がどのように推移したのかを見てみたい。

ソースによって多少の誤差はあるものの、レートはざっと下記のように動いた。

当日朝:セクサン有利5対3
試合前:セクサン有利3対1
1R終了:セクサン有利3対1トー(4対1ローン)
2R終了:セクサン有利5対2トー(3対1ローン)
3R終了:セクサン有利8対1トー(10対1ローン)
4R終了:セクサン有利レートの提示なし

1R終了時点でセクサン有利3対1トー(4対1ローン)とはどういう意味かと言うと、有利(トー)である方(この場合は赤コーナーのセクサン)に賭けたい人の提示するレートは3対1であるのに対し、不利(ローン)である方(この場合は青コーナーの梅野選手)に賭けたい人の提示するレートは4対1であるという意味だ。ただ、この有利な選手(トー側)に賭けたい人の提示するレートと不利な選手(ローン側)に賭けたい人の提示するレートにはそこまで大きな違いはないため、賭けをしない人であれば、このトー側のレートだけを押さえておけば十分ではないかと思う。

試合当日まず驚いたのは、朝の時点でセクサン有利5対3だったレートが、夕方時点で3対1まで差が開いてしまっていたことだ。そしてそのまま試合が始まり、2R終了時点で5対2と多少戻したものの、3Rに入ると差が開き、このラウンド終了時点では8対1くらいまで差がついてしまった。さらに4Rに入ってからはさらに凄まじい勢いでセクサン側にレートが流れ、このラウンド中盤には、早くもゲームオーバーとなってしまった。

ゲームオーバーというのは場内の取引が終了したという意味である。試合終了後、案の定3名の審判は全員が49対47でセクサンの勝利という判定を下した。つまり、完全に賭率に従ったものとなった格好である。

それでは実際の試合の内容は2ポイントも差がつくようなものであったのだろうか?

僕は違うと思う。確かに梅野選手のパンチはあまりセクサンに当たっていなかったが、ローキックは結構効いていたように見えた。インターナショナルな判定基準であれば、ドローでもおかしくない内容であったと思う。いや、僕の意見はどうでもいい。それより、この試合を見たタイ人はどのように感じたのだろうか?まずは、一般人であろうと思われるタイ人の声をネットから拾ってみた。いずれも素人っぽい感想だが、レートに目が眩んでいない分、ある意味正直な意見であると思う。

「国際式ボクシングの試合であれば梅野が3-2で勝っていた」

「3ラウンドまでイーブン、4ラウンドは梅野。5ラウンドはセクサン。でもアカーンムアイはセクサンの方が良かったからセクサンの勝ちだと思うが、大差の判定というのはおかしい」

「日本人の勝ちだと思う。でも、ソンムアイの違いでセクサンの勝ちになった。今度は日本でやってみたらどうだろう」

「セクサンの勝利というのは妥当な判定だ。もし日本での試合であればKOでしか勝たせてもらえないだろうが」

「カートローイ(大差の結果)になるとは一体どういうことだ!1、2ラウンドは引き分け、3ラウンドはセクサン、4、5ラウンドは梅野がとっていたので、梅野の勝ちだ。こんな地元びいきの判定を下して外国人に恥ずかしいと思わないのか。確かに梅野の動きはきれいではなかったけど、それでも梅野の勝ちは動かないよ」

「ゲンキ(梅野選手)は技が豊富で強かったけど、ムエタイファンの求めるループムアイを大事にしていなかった」

アカーンムアイ、ソンムアイ、ループムアイ等の表現が出てきているが、ここで意味するところはいずれも同じであり、「ムエタイらしさ(クワームペンムアイ)」のことである。「ムエタイらしさ」とはなんとも曖昧な言葉に聞こえるかもしれないが、タイ人がよく口にする言葉だ。簡単に言うと、落ち着いていて、テクニックがあり、技の一つ一つに芸術性があるといった意味である。

詳しく書くとまた長くなってしまいそうなのでやめておくが、要するに同じくらいの実力の選手が競い合った場合、より「ムエタイらしさ」を持った選手の方が勝つ(可能性が高い)ということである。まあ、とは言ってもセクサンも決してアーティスティックなタイプのファイターではないし、これだけで今回の試合結果が全て説明できるわけではないと思う。

それより、続けて専門家の意見も紹介しておこう。試合後、ムエタイ専門誌の記者たちは、当日計量に慣れていない梅野選手の体調面での不調を示唆するとともに、一様にセクサンの消極性について書いていた。今回に限っては、セクサンが打ち合いに応じず、アグレッシブさに欠けていたというのだ。確かにセクサンと言えば、決して後ろに下がらないファイトスタイルが売りなのに今回は守りに徹していた。

このことについては僕も気になっていたので、所属ジムを訪問して直接本人に聞いてみた。(詳細は次号のシンラパムエタイに掲載予定)するとセクサンは少し恥ずかしそうな顔をして次のように答えてくれた。

「今回の試合は絶対に負けられない大事な試合だったんです。だから油断しないように慎重に試合を進めました。」

本人は否定していたが、今回セクサンが打ち合いに応じなかったのは、圧倒的に有利な賭率を見方につけていたからに違いない。

極端に言うと3対1で不利な立場にある選手は、有利な立場にある選手に比べて3倍のパーフォーマンスをリング上で発揮しなければ勝てない。賭率の上で不利な立場にある選手が必死になって前に出るのは、出ないと勝てないことが分かっているからである。相手と同じペースで試合を進めていては勝てない。不利な立場にあるにもかかわらず、下がりながら試合を進めようものならギャンブラーたちから野次が飛ぶ。

一方有利な立場にある選手は、ある程度まで差をつけてしまえば、後は「クム」と呼ばれる守りに入るだけで良いのだ。ティープで突き放し、ラットエーオで組み付いて投げ飛ばしでもすれば、さらにレートは自分の方に寄ってくる。まさに今回のセクサンの作戦である。

梅野選手の日本での活躍はある程度タイでも知れ渡っていたが、今回の試合では3対1という通常あり得ないくらいに一方的な試合前レートが出た。タイでの実績に乏しい梅野選手は、ギャンブラーにとってまだまだ不安要素の多い「外人」であり、残念ながら買手が集まらず、その結果が賭率に表れたということだと思う。

一般的に外人(非タイ人)選手がタイで試合をする場合、シアンムアイ(賭師)の思惑とは別の次元で試合が行われることが多い。従い、勝負所で前に出なかったり、逆に勝利がほぼ確定している状態で無理に打ち合って自爆したりすることのある外人選手は「勝ち方を知らない」としてシアンムアイから敬遠され、その結果賭けが盛り上がらず会場が静まり返ることもあるが、今回は若干それに近い状況だったと言えるかもしれない。

しかしながら、だからと言ってシアンムアイに迎合する必要はないと僕は思う。場内の雰囲気に流されずに自分のスタイルを貫いていれば、そして日本でやるときと同じような試合の流れを生み出すことができれば、今後自然と賭率を見方にすることができるのではないだろうか。

今回レートが自分に寄って来なかったからといって作戦を変える必要はないと思う。なにしろ梅野選手にスタミナの心配は見当たらない。とりわけローキックとパンチを軸に試合を組み立てるのであれば、1Rからガンガン攻めるべきだと思う。ダライジャックにしろ、ポンサネーにしろ、ローキックの得意な選手というのは、前半スタミナを温存するようなことはせずに、よりアグレッシブなスタイルで人気を博してきた。少なくとも今はまだ駆け引きを覚える段階ではないと思う。むしろ毎回KOを狙うくらいのつもりで良いのではないだろうか。

守りに入ったムエタイ選手を切り崩すことは容易なことではないと思うが、日本でやるときのような殺気や怖さが観客に伝われば、梅野買いは間違いなく加速するだろう。シアンムアイにとってムエタイはビジネスである。リスクを恐れて今は梅野選手に賭けようとしない輩も、一旦儲かると分かれば、オレも俺もと付いてくるようになるだろう。

タイ人、非タイ人を問わず、レート上圧倒的に不利な状況から逆転勝ちを収めた選手には一気に注目が集めるのが常である。最近だとセーン・パランチャイが絶対不利と言われた対スーパーレック戦に勝利し、トップ選手の仲間入りを果たした。一度ギャンブラーの信用を獲得してしまえば、自分の方に買いが集まり、次からはもっと楽に勝てるようになる。駆け引きを覚えるのはそれからでも遅くはない。「コイツに賭けておけば損はしない」と思われるようになれば、ムエタイ選手として成功したようなものだ。

あ、そうそう、1つ書き忘れていたことがある。9月10日梅野選手がラジャダムナンスタジアムで試合をやった日、家で昼寝をしていたら彼が僕の夢に出てきた。会ったことも話をしたこともない彼と後楽園ホールで知り合う夢だった。積み重ねた観客席の椅子にまたがってぴょんぴょん飛び跳ねながら彼は「ヒャッホーイ」って叫んでいた。一体あれは何だったのか今考えても不思議だが、僕らの世代であれば誰もが一度は憧れたことのある「あしたのジョー」のような天真爛漫さであった。

=続く=

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文章:徳重信三(シンラパムエタイ)

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